本日は、4月6日の日記の続報。
あの“生徒君”のお話です。
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昨晩、携帯が鳴った。
生徒君だ。アメリカ旅行から帰ってきたらしい。
しかも、つい先ほど家に着いたばかりとのこと。
「さっそくですが、明日レッスンしていただけますか?」
時差ボケで疲れてないか、と心配したが、「大丈夫です」と答えた生徒君。
「じゃあ、明日。いつもの時間ね。」と言い、私は電話を切った。
何気ない会話だけど、何かが違う。
声?話し方?そうかもしれないけど、もっと大きな“何か”が変わっていたようだ。
私はどうしても、顕著な変化を感じずにはいられなかった。
この生徒君は、絵に描いたような“良い子”。
ただ、過剰なまでに慎重。悪く言えばオドオドしているし、何でも怖がり過ぎ。
いつも、「もっと勇気を出せ、大丈夫だから」と言い聞かせているのだが、
ちょっとやそっとじゃ性格なんて治るものじゃない。
例えば、レッスンの予約を入れる時。
「先生がよろしければ・・・」など、いつも消極的な前置きを付ける子なのだ。
そんな彼に私は、「あんたは、どうなの?私じゃなくて、あんたはいつレッスンしたいの?
私の都合もあるけど、自分の都合もはっきりと言わなきゃ」と喝を入れ続けていたのだ。
しかし、先ほどの電話口での生徒君。
なんか、ハキハキしていた。私の都合を聞くどころか、
「さっそくですが・・・」なんて、えらい前向きになっていたし。
家に着いてからすぐに電話してくるなんて、行動的だし。
やはり、何かが違う。何かが変わったみたい・・・
そして、今日の午後。生徒君は、レッスンに来た。
「英語ぜんぜん通じなかったけど、すっごく楽しかった!」と沢山の写真を見せてくれた。
ホームステイ先での写真、観光している写真などなど。
目を輝かせながら話す彼を見て、私はハッとした。
この子、自信がついたんだ。そして、そうなった自分がとても嬉しいんだ。
ついこの間までは、絶対に言葉の通じない地へ行くことなんか考えもしなかったのに、
殆どの人にとって何でもないことをする勇気などなかったのに、
あえて自分を奮い立たせて取った行動(=アメリカへ一人で行く)を通して、
今まで彼の中に存在していなかった感情が芽生えたのだ。
私の目の前にいる生徒君は、ほんの数週間前の彼とは違う。
そう、彼には“自信”という新たな要素が加わっていたのだ。
ホストファミリーへのお礼の手紙を書いてきたから、訳して欲しいと頼まれた。
「いいよ」と答えたけど、私はすぐに「自分で書いてみる?」と提案。
パソコンの前に座らせ、私は彼が書いた日本語を一文ずつ訳し、その意味を説明した。
そして復唱させ、それをメールとして打ち込ませて行ったのだ。この作業を繰り返す。
すると、ほんの数行しかない手紙を英語にするのに、なんと1時間もかかった。
しかし、これぞ“英語学習”だから、とても大切なこと。
勿論、生徒君も“先生に訳してもらった”ではなく、“自分で書いた”という気持ちに
なれるから、骨の折れる作業だけど、彼は労を惜しまなかった。
人は、何を通して自信を持てるのか?そんなこと、一言では語れない。
なぜなら、その“きっかけ”は人それぞれだから。
ただ、“きっかけ”を見つけ、それを掴むことさえできれば、
変化などたやすいことかもしれない。
そして、その変化を通して、私たちは“成長”できるのではないだろうか?
ハッキリとした口調で、生徒君は言った:
「僕、絶対英語がんばります。早くまた、アメリカに行きたい!今度は長期で!」
たった1週間ほどの一人旅が生徒君を変え、彼を成長させたのだ。
それを見届けている私も、これからどのように成長して行くのだろう・・・
(生徒君からのお土産↓)