先日、24時間テレビ「チャリティーマラソン」で見事113キロを走り抜いたエドはるみ。これまで毎年、いろんなタレントがこのチャレンジに挑んできました。そして、歴代走者の中で「元祖チャリティーランナー」と呼ばれるのが、エドさんの吉本の大先輩、間寛平です。
間寛平は、東京でブレイクする遥か前から関西では「寛平ちゃん」の愛称で親しまれていました。吉本新喜劇には必ず出てた人だし、座長も務めたし、「かい~の」、とか「アヘアヘア~」などのギャグは関西人なら必ず一度ぐらいは真似したでしょう。勿論、私も例外ではない(しかも、一度なんてもんじゃない。そう、何度も・・・笑)。
ということで、今日は親しみを込めて、関西人なら誰もがそう呼ぶであろう愛称「寛平ちゃん」で書き進めて行きたいと思います。
寛平ちゃんは、これまでランナーとしてのチャレンジに数多く挑んできました。1992年の24時間テレビチャリティーマラソンでは200キロマラソンを途中リタイアしたけれど、153キロを激走。翌年は、見事に200キロを走り抜きました。そして寛平ちゃんが46歳の1995年。この年の初めには、あの阪神淡路大震災が起きたのですが、神戸~東京間の約600キロを一週間かけて完走。
しかし、寛平ちゃんのランナーとしての活躍は何も24時間テレビに限りません。例えば、ホノルルマラソンの完走歴は、実に17回。ギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」(総距離246キロ)を一度ならず三度も完走。さらに、これは私が一番驚いたことなんだけど、今年の話。寛平ちゃんは「サハラマラソン」を51時間46分5秒のタイムで完走したのです。「サハラマラソン」は、食料などの必需品が入ったリュックサック(重さは15キロほど)を担ぎ、一週間かけて245キロの砂漠の道無きコースを走るのだけれど、「地球上で最も酷なレース」と呼ばれることだけあり、過去に死亡者も出たことがあります。しかも、ランナーは「例え死んでしまったとしても、遺族は主催者側を訴えない」という契約書にサインしなければ参加できません。また、1994年にはイタリア人の走者が道を失い、9日以上も砂漠を彷徨ったというケースも報告されている。だから、私は寛平ちゃんが「サハラマラソン」を完走したというニュースを知った時、「この人は一体、どんな体をしてんだろう?鉄の心臓の持ち主か?はたまた、超人か?」と大変驚きました。
けれど、寛平ちゃんがそもそもマラソンを始めた理由は、心臓疾患の治療のためだとか。そして、走り続けるうちに、体調が回復しただけでなく、心臓が陸上選手並みになったそうです。
さて、先日。寛平ちゃんから新たな発表が!なんと・・・
「アースマラソン」にチャレンジ!
アースマラソンとは、マラソンとヨットでの世界一周。陸で走る距離は2万キロで、海上をヨットで走行する距離は1万6000キロ。それを2年~2年半かけて行う過酷で気が遠くなるほどのチャレンジなのです。
寛平ちゃんが、このチャレンジのため日本を出発するのが今年の12月。え~っ!今春に「サハラマラソン」を終えたばかりなのに、もう?と正直、驚きました。けれど、寛平ちゃんのチャレンジスピリットは休むことを知らないのでしょうね。寛平ちゃんいわく・・・
「東から帰ってきたらリタイアを意味する。必ず、西から帰ってきます。」
現在、59歳の寛平ちゃん。還暦を迎えるのは、陸の上?それとも、海の上?地球のどこを激走している時だろう?何はともあれ、チャレンジ真っ最中のこととなるでしょう。
幾つになってもチャレンジャー。うん、素晴らしい!!!