私は、幼い頃から空を飛びたかった。そう、鳥のように。
幼稚園児の時、「いい子にしてれば、クリスマスでなくても願いは叶う」と、なんの根拠もないセオリーを堅く信じ、まるで修行僧のように清く、正しく、たくましく・・・って、この場合。「たくましく」はまったく関係ナッシングなので、まあ清く正しくお利口さんにしていた。そうすれば、神様が夢を叶えてくれるだろうと思ったから。しかし、まず両親に気味悪がられた。そりゃそうよね。それまでワガママ放題の娘が、ある日から突然絵に描いたようにいい子になったのだから。それに、この「いい子になろうぜ」計画は、結局のところ3日ももちませんでした。当然です。私は根っからのイタズラ好きのおちょけだからね(注:「おちょけ」とは、関西弁で「お調子者」、「ふざけたヤツ」との意味)。
小学校に上がった頃。この時点で既に、「いい子にしてれば、云々・・・」は、私には無理だと悟ったのでしょう。今度は、「方法を自分で考えよう」計画にスイッチ。どうすれば、飛べるのか?そんなことを一週間ぐらい考えあぐねた結果、あるアイデアがまるで電光石火の如く、それまでモヤがかかったような脳の回路を照らしてくれたのです。「思いっきりスイングすれば、その勢いで飛べる・・・」何故そう確信できたのかは、今になっては分かりません。しかし、その時の私は(おそらく)目を輝かせながら、出窓の縁に立ち、カーテンレールを両手で強く握った。そして、「エイ!」と言ったか、「トリャ~!」と言ったか、それとも「ほな、行くで~!」と叫んだのかは定かではないけど、勢い良く足を蹴り、スイ~ング!
が、しかし・・・
飛べなかった。飛べないどころか、私の体重でカーテンレールは、ガッ、ガッ、ガガガリ~ッ!という恐ろしい音を立て、壁紙を定規1.5本分ぐらいの長さに渡り破き、壁自体も部分的に破壊し、私とともに床へ落下。思いっきり尻餅をついた私は、母親にこっ酷く叱られ、その後帰宅した父親にも大説教を食らった。
それから大人の階段を上って行った私。今では、幼い頃のバカげたエピソードも、笑い話。しかし、鳥のように空を飛ぶ夢は未だ大切に胸の奥にしまってきました。
人間は、今日。空を飛んでいます。例えば、飛行機で。勿論、私も何度も飛行機に乗ったことがあります。飛行機の窓の外を見ると、綿菓子のような雲が見える。青い空が見える。だから、飛んでいる。けれど、本当に飛んでいる?そりゃ、上空にいるのはそうだけど、あくまでも飛行機は乗り物。鳥のように飛ぶってことは、自力で飛ばなければならない。
「それなら、ハングライダーかパラグライダーは?」ってか?まあ、ね。一番、鳥に近い格好かもしれない。けれど、それでも機材に頼っているじゃない。そうじゃないの、それじゃダメなの。こう、パタパタと腕を羽のように動かして飛ばなければ、鳥のようにはならない。
「では、スカイダイビング?それとも、バンジージャンプ?」いや、それも機材に頼ってる・・・って、オイ!それ以前の問題で!あれは、「飛ぶ」じゃなくて、「落ちる」じゃないかっ!私は何も、落ちたくはありません!落ちることなんて何も楽しいと思えません。飛びたいのよ、鳥のように!
と、ウダウダと。いつものように、どうでもいいことにかけるエネルギーだけは凄い私(笑)。しかし、最近知ったこと。それは、未だかつて誰も実際に成功できていないこと。おそらく、これからもやってみる人はいないでしょうが・・・
人も、飛べるのです。鳥のように!
(あくまでも、「論理的には・・・」の話だけど)
それは、私が大好きな漫画家・尾田栄一郎先生が、漫画本の作者コメントで言ってた(書いてた)こと。「胸に厚さ2メートルの筋肉を付ければ飛べるらしい・・・」
ちょいと調べてみると、そもそも鳥の胸筋は体の30%以上あるそうです。けれど、人間はどれほどマッチョな方でも、ほんの10%。しかし、大胸筋を鍛えに鍛え、2メートルの厚さにすれば、理論的には鳥のように飛べるはず。(ところで、バスト2メートルって一体、何カップ?って、これはバストサイズじゃなくて、胸板の厚さやん!笑)
「理屈ではそうでも、実際そんなことはあり得ない」と。今、誰が言った?そんなこと?確かに、これは理屈上の話。「理論的には・・・」の大前提よ。が、しかし。理屈上であろうが、たかが理論的であろうが、100%不可能って証拠はどこにもない。ってことは、私の単純な頭では、「できるんとちゃうん?」って結論になるワケで(笑)。
鳥になる日を夢見て・・・
いつの日か、あなたが新聞で「世界初!本物の鳥人間!」って記事を見つけた時。abimegに祝福のメールを送ってください。それ、きっと。私のことだから(笑)。