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私は、小説が書けない

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在日コリアン一世として、ハルモニ(祖母)が韓国の済州島から日本に渡って来たことは以前に書いたと思います。また、60歳になって初めて、学校に通い、字の読み書きを覚えたことも、ここで前に書きました。

ハルモニが夜間中学に入学してから一年目のこと。全クラスの生徒で文集を作ることになりました。ハルモニの作文も勿論のこと、その文集に載りました。人生60年目にして初めて字を学んだということで、ひらがなが目立つ文ですが、一言一句そのままで、ご紹介します:

「学校は、たのしい」
わたしが八才のときのことです。りょうしんと、わかれて、日本に、はたらきに来ました。そのときは、くつのいろぬりをしました。そのこうばが、ひまになってしまったので、ほかのこうばをさがしました。けれども、ほかでは、まだ年がわかいので、つかってくれません。しかたがないので、またちょうせんにかえりました。
そして、四年のちに、また日本にわたってきました。こんどは、ねじこうばで、あさ七時から、ばんの六時まではたらきました。しごとがいそがしいときは、ばんの九時、十時まではたらきました。そんなときは、としがおさないせいか、つかれて、あくるあさかおをあらうとき、せんめんきがまっかになっていました。なにかとみたら、はなぢがでていました。それで、こんどは、くつのしわけのしごとに、まわしてもらいました。そこでは、字がわからないから、もんすうをあわすことができなくて、べんじょでかくれてないたこともあります。
きんじょのこどもが、学校へ行くのを見るとうらやましく、ほんとうに、べんきょうをやりたくて、たまりませんでした。六十才になってやっと、やかん学校でべんきょうすることができるようになりました。先生がたのどりょくで、こんなわたしが、じょうしょも、なまえも、書くことができるようになりました。友だちも、いい人たちばかりで、たのしく学校にかよっています。いまは、先生にも友だちにもかんしゃのきもちでいっぱいです。
これから三年かん、がんばりたいと思っています。

ハルモニは夜間中学を無事に卒業した後、夜間高校にも進み、そこでの月日も優秀な成績で最後まで勉学に励みました。学校生活を終えてからも、毎日家計簿をつけたり、日記を書いたり、新聞を読んだりしながら、「読み書きができる幸せ」を噛み締めていました。

そんなハルモニは、先日の4月23日。この世での長き生涯に幕を下ろし、天国に行ってしまいました。90歳でした。幼い頃から苦労ばかりの人生で、その上たくさんの差別も経験して。しかし、強く、強く。不満をもらさず、諦めずに見事に生き抜いたのです。そんな立派な女性が私と血の繋がった祖母であることをとても誇りに思います。

もう、ハルモニとは会話を楽しむこともできなければ、そのぽっちゃりとしたほっぺに頬ずりすることもできません。けれど、ハルモニが私に残してくれた思い出という宝物を大事にしたい。それが、これからの私の役目なのだと思います。

ハルモニ、カムサハムニダ。絶対にまた、会えるからね。天国で待っててね。






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最終更新日  2010年05月10日 00時09分31秒
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