テーマ:YOGA(39)
カテゴリ:THOUGHTS
我々は生まれついた時点で既に充分スピリチュアルな存在ではなかったか?
言葉も思考も未だ持たぬ赤子の心は果たして無であるのか、と問えば寧ろ、変容のフォームを伴わぬ無垢な状態という意味において、歳を重ね様々なしがらみでカチンコチンに固まった魂を持て余す我々よりも、ずっとずっと豊かで満ち足りた輝かしい自身を持ち合わせているわけなんだから。 ならばなにゆえに、我々は歳を重ねプライドとエゴに支配され妥協と防衛と憐憫の苦しみでオノレをがんじがらめにしながら、何かを探し続けその不毛さに途方に暮れているのか?何かが足りない、何かが満たされない焦燥感。そしてそれにすら無自覚で鈍感になっている事実に打ちのめされる日々。何を一体求めているのか、本当に自分は何かを必要としているのかどうか、本質の大事な部分がイマイチ曖昧なまま世間のスピードについて行く為にガムシャラにガムシャラに、自分を奮い立たせる、狂騒のダンス、世界中が回り疲れているというのに!もしくは諦念という安易で甘美な卑怯さでもって責任を回避する、軽やかなステップ、したたかに醜悪に。 肝心なことがいつもどこかに行方不明。モヤモヤと確証の取れない苛立ちがいつだって絶えずそこにあって、鏡に映るオノレは生気を失った亡霊のごとき形相をしているが、それは日常関わる人達全ての顔に張り付いている仮面と同じだというコトに気づかない振りをする。気丈にハイテンションで上っ面だけの空虚な会話を延々と続けるパラノイア、何かかから逃げようと必死になって。白々しい思いやりモドキや、見返りを期待する見せかけの親切、おべっかゴマスリ権力構図、表面だけの体裁だけの社交ゲーム。 ねぇねぇ私たちの「ホントウ」ってどこに行っちゃったんだろう?雑踏に取り残された迷子の様な気分で1/100秒だけアタマをよぎる疑問。世間ではそういうことは考えないようになっているのだ、と道先案内人が叱咤する、そんなことをしていたらバスに乗り遅れますよ、とね。なんたってアナタ、都会で働くキャリアウーマン、しかも外資で管理職で国際結婚というバリバリの勝ち組街道まっしぐらなんだから周囲の期待に沿わにゃイカンでしょ?と。 全てが見栄見栄見栄、虚勢張って強がって嘘ばかりで固めて、なにも感じないよう心を麻痺させる術にばかり長けて、泣き言や弱音などこれっぽっちも!だって私は子供の頃からずーっと誰からも羨まれるSomeone Specialであり続けたかった、ただそれだけのくだらない人生だったのだから、仕方ないね。 シニカルなポーズで自分を守り固め、ニヒリズムに見せかけてはイザという時の避難場所を確保し、毒舌巻き散らすことで他人を平気で傷つけゲームに勝つことに奔走するばかりの、ああ、私は他人をちっとも愛してなぞいなかったんだな。いつもすべてがme me meの肥大したエゴで皮下脂肪がパンパンのダッチワイフみたいな人生。 こんなん破綻します、普通の神経もってれば。そして運の悪いことに、私はすこぶる病的なまでにセンシティブ過ぎたという、それだけの話。ナーバスブレークダウン、摂食障害、アルコール依存、身体コントロールの喪失、それらが「当たり前」になれなかったあたり、一定レベルの社会人としては落伍者だってことです、くやしいけど。もういいや、外部の価値観なんてファックオフだ、自分にとっての「フツー」で生きよう、ってんでStory of my life人生変えることにした2005年後半。リセット予定の設定は済んだ、あとはその準備だ。 自分にきちんと戻ってあげようと思った。まずは制御不能となった身体コントロールの復活を求め、リハビリ的に太極拳を始めた。同時に肉食やめてマクロビオティクスもどきの食生活に変えた。でも精神安定剤噛み砕いてビールで流し込むケミカル依存のままではありましたが。2004年の秋ごろの話です。 以降、ジムでハタヨガやパワーヨガや瞑想を始めたが、「なんだかなー」という中途半端な感想のみ、ガムシャラ走ったり泳いだりファイティングエクササイズしてた方が爽快感あるわよねーてなもんで。しかしある日のパワーヨガからの帰り道、それまで何年間も続いていた体の凝りと痛みが丸っきり消え去っていることに気づいて愕然。あらこれはナニかしらー?と興味を持ったのがヨガ効果、早速本屋へ行きたまたま購入したのが「女性のためのアシュタンガ・ヨーガ」、そして数日後にはIYCのスタジオへ参加、爽快感に病みつきになり定期的に(10月からは毎日)実践開始、同時にプラナヤマ・瞑想実践も始め、ヨガ哲学・仏教・精神世界方面へ傾倒・・・。 定期的に実践するヨガの(特にアシュタンガの)浄化作用には眼を見張るものがあり、自分の中でナニかが確実に変化していくのが判った。肉体的には身体がタバコとお酒を拒絶し始め結果的に禁煙・禁酒。肌が綺麗になり吹き出物や毛穴のザラつきが消滅。体重は変わらないが体脂肪が激変、つまり筋肉ついたってことか。 精神的には「私が私自身である感覚」がどんどん鋭敏になり、これまで閉じ込めてきた「本当に感じているコト」をちゃんと感じ取れるようになってきた。それがどんなに辛くても回避しない、という勇気も同時に取得。このあたりは瞑想の実践がかなり影響してきてます。自分の内を見つめる、自分を知っていく、受容していく・・・執着を捨てるとかそういうレベルには達してませんが、過程としての瞑想によって得られるものはあまりに偉大で多大です。こんなトコロに答えはあったのか!マッシモー! そしてなによりも対人関係。取り繕わなくていいんだよね、私は私自身であっていいんだよね、「ウチラvsアイツラ」メンタリティを取っ払って「ワタシタチ」という視点でスタートすることによって、全然ラクチンでハッピーになれちゃうことに気づいた。本当涙がでそうです、これ。なんだーミンナ本当は良い人ばっかりじゃないかー、もー、敵を作りあげていたのは私自身だったのだー、ってな感じ。まぁ、会社辞めてから周囲がピュアで暖かい人ばっかりだっていう現在の状況もありますが・・・。今後も付き合う人はちゃんと選択していけばいいだけだしね。エゴ防衛戦になる付き合いはコリゴリ! ともあれ、すべてが偶然というよりは必然であったのだと、これは確証もって云えます。で、年末年始にヴィパッサナー瞑想10日間合宿に参加の後日本を離れフィリピンへ向います。私の人生の敗者復活編・第二章がスタート。バンザーイ。 (瞑想合宿後の私がどのように変容するのか興味津々なので、「以前」の気持をとりあえずここに記す。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
僕はここにひとつの輪廻を見た。
壊したい壊したい、己を浄化したい。 (2005.12.21 23:54:14)
k-1907さん
全ては自分の内にあるということ。 過去や未来への執着に囚われず 「いま・ここ」を感じ、信じ、存在すること。 所詮詰め込んだアタマの知識など 自分で体験するまで信用しないこと。 壊すのではなくてUNFOLDING ほどいていくこと、少しずつ、確実に。 愛すること。 許すこと。 すべては無常であるという真実を 慈悲の心で見つめること。 現在の自分がどんな混沌抱えていようが 優しく微笑んで慈しんであげましょう。 難しいことじゃ全然なくって むしろあっけにとられるほど シンプルで簡単なことだったのだー。 (2005.12.22 11:42:15)
>シンプルで簡単なこと
これは・・・とても響きます。 最近書いていて気づいたことがあるんです。 それは後々。。。 あー、ほどくための最初の切れ端を探さなきゃ。 いや、信じなきゃ。 (2005.12.22 23:10:12)
k-1907さん
>あー、ほどくための最初の切れ端を探さなきゃ。 >いや、信じなきゃ。 ----- やってくるべきものは必ずやってきますよ あせらず地道に誠実に! (2006.01.03 18:57:58) |
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