カテゴリ:THOUGHTS
12/23~1/3の京都は丹波の山奥にあるダンマバーヌにての10日間のヴィパッサナー瞑想合宿から本日戻ってきました。
あ、年は明けていたのか!・・・と朧に思いながら通り抜けた帰路、下界は刺激が強すぎて眩暈がした。10日間の沈黙、あらゆる刺激から遮断された環境、非日常の極みで行う1日10時間の瞑想は否が応でも我々の感覚を鋭敏にし様々な体験気づきをもらたすものなのですね。詳細は後日追って記するとして、とりあえずは、ただいま。良かったよヴィパッサナ、行ってきてよかった。薦めてくれた皆さんありがとう。合宿で出会えたみんなもありがとね、I love you all! なんだかまだ体のアチコチがジンジンしている感じが残ってて、耳の奥で木霊するゴエンカ氏の詠唱の独特なヴァイブレーションとこの体の感覚が同期を取り、全身これ歓喜に打ち震える精神的オーガスムスの余韻が心地よい。これってあたかもLSD(いいのか?こんな「まんま」の表記で?)摂取の効果と同じやん、なんて不謹慎なコトを平気で思ったワタシですが、結局瞑想とは我々の脳内ケミカル遊戯のテクニカルなトレーニングに他ならない、との結論に至りました、それも知識としてではなく体験として、というのがポイントです。 ただしここで強調しておきたいのは、ではその脳内ケミカル遊戯の結果オノレに、または他人へ還元できるのは何か?これが肝心であるということ。単に「うひゃ、サマーディだよ、恍惚の瞬間だよ、集中の極みだよ」なんて段階で満足するんだったら、それは本屋で買える「1日10分できる!瞑想マニュアル」で手に入れられる安易な嗜好品みたいなもんです。そこで完結してるんだったらサルのマスターベションとなんら変わりませんて。そして大抵の瞑想法はここ止まりなのではないかと。 今回体験したヴィパッサナーは「そこから先」の方向をきちんと指し示します、決して強制ではなくてね。ヴィパッサナー瞑想法は「生きる技・Art of living」とも呼ばれてますが、ワタシはあえて「サバイバルのテクニック」とでも呼んでおきたいです。この部分のとっかかりが自分の中で生まれたのが最大の収穫でした。おのれの心の平安と調和そして真の解放、そこで初めてスタートできる他者との分かち合い、他者への限りない不変の愛と慈しみ。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。 May all beings be happy! 世界中に愛を(@ハラサトシ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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