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フィリピンの田舎はいいよ。
手付かずの自然がたんと残っているし、人々は暖かいし、私達日本人が忘れた大事ななにかを思い起こさせてくれる。のんびりとココロとアタマの洗濯をしたくなったら是非いらっしゃい。 やわらかな緑の匂い、鳥のさえずり、爽やかなそよ風、清らかな空気・・・そんな極上の環境に身を委ね、心身ともにリラーックスしていると、突然、ガガーン!とそれはやって来る。 ビルもお店もなにもなーい、林と畑の合間に木造小屋が点在するド田舎で、ひときわドデカイ轟きが、辺りの静寂を一思いに壊滅し、ジュークボックス型のカラオケマシーンの音量をMAXにし、昼夜を問わず「思い立ったらカラオケ」、と、完璧な腹式呼吸で「普通の人々」は歌いだすのだ。 ここで注釈入れます。 林と畑の合間に木造小屋が点在するド田舎:つまり「お店」としてカラオケ屋さんがあるわけではない。木造小屋の個人宅にカラオケマシーンがあるのだ。小金が貯まったらカラオケマシーンを買う、とうのは庶民の「可能な」贅沢らしい。そして、近所の連帯感というのは強く、とある家庭がカラオケマシーンを持てば、近所のみんなが立ち寄ってワイワイ歌いだす。 カラオケマシーンの音量MAX:日本で想像するフルボリュームの3倍と思ってください。しかも低品質のスピーカーでガナらすので、音はバリバリに割れる。ひょっとしてこの人たち、音のディストーションぶりを評価の基準にしているのではあるまいか?と思わせるほど、常軌を逸してる。500m離れていたって、すぐ近所のように聞こえるし、その場にいたら音響で体は震えるし、他人との会話なんて不可能。 昼夜を問わず:以前滞在したカモテス島では、フィエスタでもあり、出店のカラオケ屋さんが6件ビーチを占領しており、夜を徹して早朝5時までカラオケは続き、やっと終わったと思ったら、朝7時半にはもうスタートしてた。500mは離れていたけれど、一睡もできませんでした。通常の日常でも、他にすることなければ朝8時から普通に歌いだします。 「思い立ったらカラオケ」:日本のように「さー、カラオケ行くぞー」と気合を入れて行う娯楽ではなく、お酒とセットで、ということもなく、起きる・水浴びする・カラオケ歌う・ゴハン食べる・ウンコする・昼寝する・カラオケ歌う・井戸端会議する・ゴハン食べる・水浴びする・カラオケ歌う・・・というように、生活の一部であるらしい。 完璧な腹式呼吸:日常の会話自体も「大声で怒鳴る」のが基本なため、複式呼吸は幼少のうちにマスターしている。よって、歌はむちゃくちゃ上手いぞー。すげーイイ声出るぞー。音程が狂っていても声質声量態度はビッグシンガーだぞー。ちなみに、カラオケがなくても、気が向けばどこでも大声で歌いだすのは普通の行為らしい。側にいて急にこれやられると、ビビる。 「普通の人々」:朝から飲んだ暮れてる酔っ払い、とか、職ナシのプータローとか、娼婦とかギャンブラーとか、そういったロウライフな面々だけではなく、普通の良識ある善良市民も、普通にカラオケ歌います、当然大声です。 このカラオケマシーン、屋内には置かない。屋外に置くのが鉄則のようだ。よって、音響は全て外へ外へと向うのだ。うららかでのどかな田舎の魅力を満喫するその背景には、いつも大音響のカラオケ、というのが、当たり前の構図としてここにある。ああ、いなか、の、じけん。 最初は、この音量!こんな朝っぱらから!んもー、ナニコレ?マジコレ?フザケンナー!と逆上しておりましたが、さすがに5ヶ月も経つと感覚が麻痺してきました。ニワトリの鳴き声とか、波の音みたいに(共に夜うるさくて眠れない時期があった)、時とともに「騒音」から普通の「背景音」へと、そのフォームを変えつつあるこの頃。現在住んでいる家の近所には、3箇所のカラオケマシーン設置場所があり、夜7時ともなると大合戦状態だ。外国人を含む住民は「ああ、カラオケの騒音には参るよねー」と苦笑しつつも、けっこう大らかに受け入れている。 「結局、楽しみなんて、飲むか・セックスするか・カラオケするかくらいしか、ないんだよねー」 とは、エドワードの弁。彼は日々することもなく、仲間とゴロつき、無為に時を過ごして暮らしている典型的なこの辺の若造だ。 「んなら、畑でも耕しなさいよ!」 とか思っちゃうんだけどね、わたしは。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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