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テーマ:地震情報(629)
カテゴリ:東日本大震災
二転三転と変わっていった京都の送り火。
最終的には別の木に書き写して燃やした。 これはニュースでも多く報道されていたが… 平泉でも大文字送り火が行われた。 そこでは被災家屋の木材使用されたにも関わらず 私がテレビのメディアで見たのは一つの番組だけ。 その番組では平泉の送り火を担当してた人が 話していたが、放射能についても、それよりも 供養するのが大事とのこと。 これには賛否両論あるかもしれないが 私は平泉の対応が正しいと思った。 使用する木材が違うから比べることは出来ないと思うが 何よりも供養することに意味があるのではないだろうか? 今もまだ行方不明者がいる。 今までに確認された死者の数も膨大であり それを供養するためにも国として、一人の人間として 供養していかなければいけないと思う。 しかし、放射能におびえ、風評被害に騙され それさえも出来なくなってしまったら、亡くなった人達に 申し訳ないと思ってしまう。 この考えにも賛否両論あるだろう。 しかし、人間は放射能と聞くだけでそこまで弱くならないと いけないのだろうか? 今回の原発の事故があるまで誰も気にしてなかったことで 生きていく中で放射能は必ず浴びている。 いつの間にか過敏になり、ほんの少しの反対、批判があれば 供養することさえも中止する。 ごく一部の評価だけで命の大切さまで あやふやにしてしまうのは、一番最悪ではないだろうか? 先月起きた中国の列車事故。 それを散々批判していたメディア、日本人は 批判できるほどの立場なのだろうか? 今回の送り火の件は、規模も内容も違うかもしれないが 日本の行く末も見えた気がしてならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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