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テーマ:地震情報(629)
カテゴリ:東日本大震災
五月に訪れた北茨城の現状が報道されていた。
一番最初に立ち寄った大津港は あのときと変わらないまま、まだ崩壊されたままだった。 七月に被災地に訪れたときは時間がなかったため 北茨城の方には足を運ぶことが出来なかったので 気になっていたが、訪れてからこっちでは全然 報道されずじまいだったので現状が分からなかった。 テレビに映った景色はあのときのまま。 この驚きとショックは隠さずにはいられない。 それと同時に自分の非力さをまた実感してしまった。 報道では私が当時、感じて書いたこと 数ヶ月経った今、同じ事を伝えていた。 震災の時の被害の大きさで報道される大きさも 比例されていて、原発から離れれば離れるほど 報道もされていなかったことに改めて気づかされた。 温泉街でもあり、アンコウ鍋で有名だった 観光地も今は三分の一にも人の足は減ったらしい。 完全な風評被害でもあり、これに対して 国もメディアも何もしていなかったということが よく分かった。 私自身ももっと声を挙げておくべきだった。 悔しくてたまらない。 一人の人間が何か出来るとは思ってはいないが その場所を知り、自分の足で歩いた場所を もっと多くの人に伝えないといけなかったんだと… いや、またこれからもっと広げていかなければいけない。 何故そこまで? と思われるだろう。 それは国もメディアも触れようとしないから。 それだけで充分理由にならないだろうか? 記憶の中での過疎化した被災地の存在を 決して作ってはならないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.12.27 14:55:13
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