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カテゴリ:芸術
昨日あるTVを見ていたら非常に興味ある番組をやっていました ご覧になった方も多数いらっしゃることだとは思いますが だいたい以下のような内容であったと思います 途中から見たもので、少し不正確かもしれませんが(汗)
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その家の息子さんは子ネコのときから非常に可愛がっていて いつも子ネコと一緒だったそうなのですが あるとき下宿生活が始まったせいでしょうか、長期間家を離れることになり しばらくぶりに家に帰ってきたらそのネコは男の子が怪我するほど 引っ掻いたりパンチしたり 気持ちよく迎えられると思った息子は戸惑うばかり...
自分が可愛がっていたネコのあまりの変貌ぶりに TV番組から動物語を喋れる人を連れてきて理由を聞いたら
『何で黙っていなくなったんだ!何で見捨てたんだ!!』ということ 男の子の家族が言うには しばらくの間は、ドアのところへ行ってにゃ~にゃ~泣いていたそうです
動物語を話せる人からすると、解決策はただひとつだけ ネコが納得するまで『心からのお詫びを繰り返すこと』だということでした
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実はわたくしも中学生のとき、同じような経験をしたことがありました
あるとき文鳥を飼うことになりまして 赤ちゃんのときから餌をあげ学校から帰ってくると毎日一緒に遊んでいました 親とでも思ったのでしょうか、どこへでもついてくるんです 外へ出ても逃げるどころか、追いかけて肩に乗ってくるほどでした
あるときから受験勉強が忙しくなったこともあり その文鳥の世話は、約一年間まったく母親まかせに... そして晴れて合格、受験勉強が終わってゆっくり遊ぼうと思ったら 人間が変わっていた...じゃなく鳥が変わっていた(汗)
わたしを見るなり、血が出るほどの口ばし攻撃の連続 手乗りどころか、人間をまったく寄せ付けない文鳥に... それからというものは、まったくなつくということは全くありませんでした
そのときは私も未熟者でしたから(今でも未熟ってか、お~い!...爆) 『まったく気の強い文鳥になってしまったもんだ!』と逆切れしてしまいましたが 昨日のTV番組を見て、ようやく40年ぶりに理由がわかりました
『愛情というものは、途切れさせてはいけないんだなぁ』ということ 親子関係・夫婦関係もそうかもしれませんねぇ... そして重要なことは、愛情はただ思っているだけでなく 『相手に通じないと意味がない』ような気がいたします
もっとも自分勝手な溺愛、また形の上だけの愛情表現ではなく 心底、相手に通じることがとっても重要なんだなぁ...ということ
実は看板も同じことが言えるような気がいたします(笑)
相手に通じないと、看板の存在の意味が果たせないのです ただ置いてあるだけ、ただ名前が入っているだけ そしてただ灯りが点いているだけの看板が何と多いことでしょうか...
ただ安売りの看板も一時は人を集められるかもしれませんが 思いが通じていない看板からは、いつか人が遠のいてしまうことでしょう
見る相手も人間...相手に自分の思いが沁みでる、通じる看板 極端な言い方をすれば... 『思いの通じない看板はただの箱』とも言えるのではないでしょうか
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