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カテゴリ:ちょっと独り言
息子が塾に通いだしてから、はや1年と2ヶ月・・・・・
学力も幾分か、少しはマシになってきた(笑) ゆうゆう自身も、成績が上がってきたせいか、 「やればできる」ということが身にしみてわかってきたようだ。 で、夕食を取った後、2Fの彼の部屋で 学校の宿題や塾の宿題を私が見てやっているのだが、 先日、ゆうゆうが塾の算数の宿題を解いてる間、暇なので、 学校の社会の教科書をパラパラ見ているときに、 「なんじゃ、こりゃぁぁぁーーーーーーーー! ΣΣ┏(|||`□´|||;;)┓!」 と思ったので 今日は、そのことを書こうと思う。 6年生では、主に日本の歴史を学んでいる。 何気に「室町幕府」の項を開けてみると ---------------------------------------------- 金閣と銀閣 14世紀に入ると、 足利氏が京都に新しく室町幕府を開きました。 3代将軍足利義満は、 各地を治めていた守護大名を従え・・・・・(続く) ・・・・・・・・・ ----------------------------------------------- ここで、何か変だと感じたお方もおられるだろう。 そう、 室町幕府を開いた初代将軍「足利尊氏」の名前が どこにも載っていないのである。 私の記憶が正しければ、朝廷から征夷大将軍を任ぜられ 室町幕府にとっては、なくてはならない存在なはず。 あれれ~~?と思いながら、 んじゃ、 後醍醐天皇が行なった『建武の新政』の項に書かれているのかな、 と思い、前のページを開けてみると 建武の新政どころか、 『元寇』についてしか書かれていないではないか。 再び、あれれ~~?と思って、前のページに戻ってみると 『頼朝、鎌倉に幕府を開く』である。 いくらなんでも、この時期には後醍醐天皇は登場しないので 明らかに建武の新政は、日本の歴史上必要なし、と 文部科学省のおエライさんは判断されたのかもしれない。 もしかして、このようなことが他にもあるかもしれないと ツッコミ好きな私は、パラパラとページをめくって 信長、全国統一をめざすを見てみると ----------------------------------------------- ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ しかし、全国統一を目指す戦いの途中で、 家来の明智光秀にせめられ、命を落としました。 (信長の項、終わり) ------------------------------------------------ あれれ~~~~? 「本能寺の変」という言葉が、ないではないかっっ? お役人さんは、これも必要ないとお考えなのだろうか? しかし、明智光秀は、名前だけでも登場してるだけマシである。 足利尊氏さんなんて、名前さえ紹介されてないのだからな(笑) ああ悲劇の武将、尊氏さま で、懲りずに(?)再びパラパラめくってゆくと 江戸時代にたどりついたのだが、 さすがに700年ちかく続いた江戸時代。 まあ、小学生の歴史はこんなもんだだろうと思う内容だったのだが 『大塩平八郎の乱』こそ、少しだけ紹介されこそすれ、 『桜田門外の変』は、なかった(笑) 「井伊直弼」もせめて 名前くらい紹介してやってほしかったよ。 ここまでくれば、 ”いい国作ろう、鎌倉幕府”の前はどうなっているのか すごく気になったので 教科書の最初の方をパラパラめくっていくと 朝鮮から移り住んできた人たちが伝えたという、 米作りのことや、古墳、遺跡について書かれてあったが、 日本の歴史上、絶対省いてはいけないと自負している(って誰が?) あの 大化の改新が ないのである。 ε=ε=ε=(#`・д・)/ コラァー!! ウソやろ・・・・・ あの、ムシゴロシの語呂で覚えた「645年」が 見事に闇に葬られているのだ。 今の日本があるのも、大化の改新があったから と言っても過言ではないと思う。 当時、大豪族であった「蘇我氏」を倒した 中大兄皇子や中臣鎌足の努力も水の泡である(笑) パソコンでさえ、彼らの名前は一発で変換できるちゅーのに・・・・ (↑一度アナタのパソでお試しあれ) 日本のために、ガンバってこられた 足利尊氏様、 明智光秀様 中大兄皇子様 中臣鎌足様、その他大勢の方々。 まさか、1000年以上たって日本の教科書で こんな扱いを受けているとは・・・・・ 彼らも草葉の陰で嘆き、悲しんでおられることだと思う。 もうすぐお彼岸なので、 このBlogを読まれた方は、 ご自分のご先祖さまの後でも結構なので、 彼らの功績を、ほんのちょっとでもいいから ひそかに讃えてあげてほしいと切に願う(爆) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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