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2019年04月28日
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孀婦岩
東京の南約650 km、鳥島の南約76 kmに位置する標高99 m、東西84 m、南北56 m、面積0.01 km2の顕著な黒色孤立突岩[1]。火道内のマグマが硬化してできた典型的な岩頸である。日本放送協会(NHK)や産業技術総合研究所等による海底から陸上までの調査により、岩質は海底部分は玄武岩であり、海上部分は安山岩であることが判明している[2][3]。頂上付近には水面に対して垂直方向の柱状節理が認められる。

2003年に活火山の基準が見直された際に、新たに活火山に選定された[4][5]。カルデラ式海底火山の外輪山にあたり、孀婦岩の南西2.6 km、水深240 mには火口がある[1]。海底から海上に及ぶ形状は、ケーキに立てられた1本のろうそくにも例えられる[6]。

その形状のために上陸することは困難であるが、1972年に早稲田大学の学生が上陸、登頂に成功[7]ほか、2003年にもロッククライミングで登頂した例などが存在する[8](ただし転落事故も記録されている)。2018年5月には増本亮らクライマー2人、NHKカメラマン2人の計4人が上陸に成功している[3]。

周辺は航海の難所ながら、豊かな漁場として伊豆・小笠原漁民に知られる。また、高い透明度と豊富な魚影からスキューバダイビングの聖地とする人も多い。

孀婦岩について初めて確実な記録を残したのは、イギリス人で元海軍大尉のジョン・ミアーズ(英語版)であった。彼は交易のため2艘の船団でマカオを出発、ミンダナオ島を経て北アメリカに向かう途上で孀婦岩を目撃した。ミアーズの記録によると1788年4月9日、彼は初めてこの岩を目撃し「その岩に近づくにつれ、我々の驚きはより大きくなった。船員たちは何か超自然的な力が、この岩の形を現在の形に突然変えたのだ、と強く信じたがっていた」と書き記した。ミアーズは、この岩をその不思議な形から、旧約聖書の創世記19章26節に記された、神の指示に背いたために塩の柱に変えられてしまったロトの妻に見立てて「Lot's wife(ロトの妻)」と名づけた。ミアーズの報告と実際の岩の位置は経度が大きく異なっており、実際よりも17度も東にされている。

日本語文献では1885年の『寰瀛水路誌』に初めて「孀婦岩(ロッツワイフ)」の名が現れる。「孀婦岩」は「やもめいわ」の意味であるが、これは「Lot's wife」を意訳したもので、やがて音読して「そうふがん」と読まれるようになったと考えられる。今日では「そうふいわ」と呼ばれることも多い[9][10]。聖書に由来することが確定している日本の地名は珍しい。

周辺では海底火山が活動中であり、1975年に孀婦岩の北約500 mの海域に緑色の変色水の発生が観測されたが、火山活動との関連性は不明である[11]。

戦後、1946年(昭和21年)3月22日に伊豆諸島が本土復帰してから、1952年(昭和27年)2月10日にトカラ列島が本土復帰するまで、この岩は日本の最南端であった。

周辺はダイビングスポットとしても知られ、多様な魚類のほか、ザトウクジラ[12][出典無効][13][出典無効]やアカボウクジラ[14][出典無効]などが現れることもある。

海鳥の生息地となっているため、島は鳥の糞で白くなっている。また、頂部にイネ科の植物が生息している[15][出典無効]。2018年の調査では新種と思われるウミコオロギの仲間も発見されている[3]。














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最終更新日  2019年04月28日 19時46分06秒
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