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テーマ:今日の出来事(291757)
カテゴリ:本日の出来事
昨夜、10時過ぎに主人の携帯が鳴って、横で聞いていた私は嫌な予感がしました。
「もしかしたら、お義父さんの事かしら・・・?」 電話は、義母からで『病院から義兄に電話があってすぐに来て欲しい』という事でした。 前の晩に行った時、帰りがけに私が手を握ったら強く握り返してくれた義父が思い出されます。。 ------------------ 去年の年末に足の付け根が痛いといってたら、年が明けてしばらくして やはり夜10時過ぎに義父からの「動けなくなった」と電話あり、駆けつけて救急車で近くの病院へ入院。 一ヶ月後退院して、都内の介護付老人ホームに入居したものの、介護人の人が高齢者が多い事に「!」だったのと、毎日おやつの時間に小皿のようなお盆に鈴かすや袋菓子が四、五個程度の物なのに義父の分だけが忘れられたり、他にも高齢者が多いせいか、コールボタン押しても来てもらった事がなかったらしいです。 一見人当たりのいい人たちでしたけど~~; 義父は、膀胱ガンを経験しているのでベッド横に尿の量を量るため袋を下げてあったのに 介護の人が気づかずにあふれて床にこぼれてしまい、数日別部屋に移動という事もありました。。 しかも、病院付のホームという事でしたが痛み止めのモルヒネさえ、処置できないという事で結局一時、かかりつけの大学病院に入院して検査した結果、全身の骨に転移している事がわかり、今月初めに、義兄がホスピスのような病院へ移院手続きをしてくれて、綺麗で環境も整っててお義父さんも喜んでいたのに、入って一週間で逝ってしまいました。。 ---------------- 病室に入るとたくさん管に繋がれたまま、義父は、うつろな目に口を大きく開けまま、あごで呼吸する状態でした。 大学病院を退院してから、少しずつ、やせ細って小さくなる姿を見る度に胸が痛かった。 -------------- 体育教師から校長にまでなって引退して大分経つのに未だに元生徒さんや同僚の人から毎年年賀状が幾つも届いていました。 元気だった頃の父は、エルキュール・ポワロ役のデビッド・スーシェに似ていて丸い頭にいたずらっぽく光る瞳が綺麗な人で無口だけど、おちゃめな所もあって、たくさん話したりしませんでしたがお互いに好感を持っているのが分かる気がしていました。 時々、義母が「お父さんは、○○(私)が気に入ってるのね。私が何か言うとすぐ庇うんだから」と言っていたので。義父と二人の時、義母は私の事をなんていってたのかは不明ですが★(~~;)まー別にいいんですけど。 --------------- そんな義父だったのに。。。ベッドに弱々しく横たわっている姿を見ると喉や胸がつまって息苦しい感じがしました。 「痛み止めで意識は朦朧としているが声は聞こえているはずなので話しかけてあげて下さい」 と言われたけれど、前日の夜のように一生懸命出ない声で話そうとする義父はもうそこにはいなくて義母の顔や話しかける声を理解しているのかさえわかりませんでした。 今まで、私は親しい人の最期を看取った事がないので、最初はお父さんがとても気の毒で 涙が止まらなかったのに家族でベッドの周りでいつ止まるか分からないお父さんの呼吸を見守る事が、止まるのを待っているような気もして、何とも言えない気持ちでした。。 義母ははじめは色々話しかけていたけれど、つらくなったのか途中から背を向けていたので呼吸が少しずつ間隔が長くなり、ついに止まるまで私が手を握っていました。 人の最期ってこんな風に命が消える物なんだとしみじみ思いました。 みんな、心の準備をしていたせいか、大声で泣き崩れる者もなく、夜中に淡々と葬儀の手配をしたり、部屋を片付ける風景も不思議な感じでした。 主人の事を義父は、いつも気にかけて可愛く思っていたようですが、客観的にみてそんなに親孝行ではなかったかも。 親は無償の愛を捧げてくれるのに見返りは少しの場合が多い?(/_;) お父さんに毎年年末は年越しそばを作ってもらって食べたのに、今年の終わりはもうないんですね。 いつも気にかかってた息子さんは私が面倒みさせて頂きますからね。 (って、ダンナに聞かれたら俺か面倒みてるというかもしれないけど) もう痛みもない所で楽しく過ごして下さいね。 病院からそのまま、葬儀の以来をした場所に行って明け方帰宅。 その日の昼間に打ち合わせ、夜に身内のみで通夜。 そして明日は、告別式です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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