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May 3, 2023
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4月の終わり、ダブルウーハーズ会長が亡くなられた。

知ったのはちょうど昼飯時で、夫婦で絶句。二人の主治医であり、子供の学校の校医でもあったから、一家の健康にお世話になったといっても過言ではない。いやいや、自分が入院した時には入院保証人にもなっていただき、一部その後のケアもお願いしたから、お世話になったレベルではない。
肉親以外の死で、こんなに衝撃を受けることがあるのか。


そもそも会長がこの地にいなければ、この茨城に越してくることはなかった。

知り合ったのは20年くらい前。Blogをさかのぼればどこかに書いてあるはずだが、AE2 Signature用の磁力浮遊のボードを作ったことに興味を持たれたようで、当時住んできた千住の古い社宅まで来てくださった。その後会長はCelloスピーカー用の浮遊ボードを実際作られたから、本気だったのだろう。

 

とはいえ、オフ会というのは意外に片道切符の一回限りのことが多い。
会長とはそうではなかった。
 
当時つくばエクスプレス(TX)も開通していなかったのに、なぜ東京から茨城まであんなに通ったのか。
2000年代前半はオフ会がものすごい盛んだった時代背景もあったと思う。
会長が医者ですごい金持ちだということはすぐにわかった。更に当時助教授を務めていらした研究室に、私が仕事でお世話になっていたことも後にわかる。
ダブルウーハーズという自分とは無縁の、大型スピーカーを使いこなす有志の会の会長ということも。

色々経験させていただいた。
一部はBlogに書いたし、会長の著書「暗い低音は好きじゃない!」にも書いてある。実は私もその場にいた記事が少なくない。

 
話はTXに戻るが、最初にお会いしてからしばらくして私は千住の社宅を追い出されることとなり、家を探す必要があった。音量を出したかったからマンションは候補から消え、一軒家を建てるべく都内近郊を探していた。同じ頃、会長は会長でTX駅の区画整理で家を建て直す時期だったのだ。意気投合した。金持ちどころか超・超大地主ということもその頃わかった。


TXも開通。私は茨城ブランドへの抵抗もなく、通勤の問題もなかった。会長の土地を売ってもらう話もあったが、少しタイミングが合わず。結局は土地区画整理公団の抽選に当たるのだが、いずれにせよ上記の通り会長がいなかったらここに住んでいないのだ。子供たちはこの街生れだから、自分たち夫婦がここにいないということは、この子たちは生まれていない(笑
 
会長の我が一家への影響がすさまじい。
 
オーディオルームを作るために、当時流行っていた石井式のお宅を何件も訪問したっけ。会長のオーディオルームが二重壁でコーナー吸音しているのはそのエッセンス。これまた流行っていた専用電柱もひいた。
二人で同じものを見たはずなのにお互いの出来上がりの美しさがまるきり異なるのは、これひとえに財力の差、追及の深さの違いだ。会長は美しいと感じるもの、自分が信じるものに妥協がなかった。家もそう、オーディオもそう、車もそう。

車を買ったことがなかった私に、店から買い方から整備工場から車を磨く専門業者まで教えてくれた。買った方がいい車種も紹介してくれた。もちろん外車で。
その教え通りに、結局ベンツ C200とBMW X5という、維持費もかかるし車検も保険も高いしハイオク専用の、身分不相応な2台の車に10年以上乗ることになる。
 
 
まぁ豪快な人だった。
クリニック兼ご自宅の敷地は2000坪とおっしゃっていたが、改めて測量したら「増えた」という土地の面積が私の買った土地より大きかったとか、家族で行っていた歯医者も中華料理屋も先生が貸していたとか、街で見かけるあるマークのアパートが全て先生の持ち物だったとか、係争大好物とか、東日本大震災の時に下りた保険金がウソでしょという金額でそれがあのマニア垂涎のスピーカー&アンプに化けたとか、最後は住宅街丸々コーディネートしたとか(笑


そんな会長も2010年代半ばからは大病続き。体調を崩されてからもご自宅のオーディオルーム訪問はさせていただいたが、それ以上に自分が通院していたから1~2ヵ月に一回は診察室でお世話になった。診察室では病気よりもオーディオの話で、新しいLINN DSがすごいとか、光カートリッジ使ってみろとか、水銀ケーブル市販するとか、〇〇誌の〇〇に出て欲しいとか、真の化け物マニアはネットにも雑誌にも一切出てこないとか、盛り上がったなァ。
 
娘さんもお医者さんということもあり、会長の診察時間はどんどん短くなり16時半からの1時間に。
それも段々なくなっていった。やせていたし、声がだんだん細くなっていた。
 
最後にお会いしたのはたぶん年初の通院時。袖に引っ掛けて光カートリッジのカンチレバーを折った話だったか、違う話だったか。あまり覚えていない。
 
 
 
惜しい。
本当に惜しい。
 
ミリ単位でセッティングを追及したりケーブルをとっかえひっかえしたり、そういうアプローチとは違う、機器ごと替え、そして増やして組み合わせるやり方だった。オーディオに情熱があった。30畳のオーディオルームの3面はスピーカーでいっぱい、残り1面は機器でいっぱい。あのJBL 4350を一人で移動させ38cmユニットを交換するとか信じられぬ。クロスオーバー調整やマルチチャンネル駆動といった昔からの基本的なテクニックを駆使できる一方で、デジタル再生にも果敢に挑んでいらしたっけ。今やLUMINやLINNだったが、最初期にはMac mini購入されて一緒にセットしたのは大地震の前か後か。
 
そんなことを言い出したらキリがない。
我が家のスピーカー Pass Labs Rushmoreだって、会長が都内の店のアポを取り試聴には同席いただいたのだから、最初から共にあったのだ。あれが2007年。娘が生まれる1週間前のこと。

うちでも何回も聴いてくれた。Rushmoreは会長もお使いのXVR1と同等の回路を積んでいるが、クロスオーバーが固定でいじれないと知って興味を失ったのか、最後まで絶賛はなかった気がする。会長はアンプを使いたいから。

 
 
 
尽きぬ。
 
ちょっとお通夜に行ってくる。歩いて。






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Last updated  May 4, 2023 01:25:23 PM


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