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今朝、カラスとすれ違う。
塀にとまってカラスが鳴いている。 彼の鳴き声と共に、空いた口から彼の白息が見えた。 彼にも僕と同じく体温があり、呼吸もしている。 生きているということはほとんど同じことなのに、なぜこれほど違うのか。 生命として於いてある場所は同じだが、生物としての現実は異っている。 その現実の相違を僕はどう埋めていこう。 神話か、生物学か、はたまたヒューマニズムか。。 私がどのようにカラスを見るかで、現実の質感は決定付けられてしまう。 私のカラスへの態度も変わるだろう。 同じく世界への態度も変わるだろう。 一羽のカラスに対して矛盾する複数の眼差しを向けることができる。 ある眼差しの裏には、必ず別の眼差しが潜行している。 「意識とは否定性である」と言ったのは誰だったか失念したが、意識の自覚とはそのような現実への否定性よるものなのだろうか。 一つの現実が有する、複数のニュアンスの差異に敏感でありたいという願いは、非現実的であろうか。 だが実際、私が取る彼への態度は一つだけだ。 その態度・表現によって造られた現実もまた新たな眼差しの対象となる。 創造者と被創造者が一体であるような現実が展開していると思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.04 00:17:52
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