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毎日昼休みに独り坐禅堂に於いて坐す。
あえて面壁せず、窓を開けて降ってくる雪を観ている。 みぞおちを柔らかく保って呼吸をしていくと、冷たく顔を刺す風が、段々と心地よい夏の微風のように感じられるのが不思議だ。 寒い寒いと身体を強張らせると、途端に風が冷たくなるのも不思議だ。 気温とあまりケンカしてもダメなんだな。 ところで、姿勢の制御というのは、地球の重力と身体との繊細な駆け引きである。 地球上に存在するあらゆる物質は漏れなく重力を受け取っており、その体に掛かる重みに抗しながら存在している。 あらゆる生命の進化と活動はその重力との絶妙なバランスの上に成り立っている。 人間の技術、あるいは行為というものは、地球に引かれながら、その重力の自覚の上に磨かれてきた。 重力を無視した技術や行為というものはうまく働くことはないだろう。 道具の質量や、手足の重み、慣性の法則を観ずることができなければ、ホウキ一つ、雑巾掛け一つとってみても上達はしない。剣や弓なら尚更だろう。 だから人間の技術というのも地球の重力とのかけ引きであると思う。 この身に重力を頂いているということは、この地球上での存在を許可されているということだ。 詩的に言えば、重力とは地球からの愛である。 自己の身体に架かる重み(愛)をゆったりと味わえることが、坐禅のよろこびの一つではある。 自己の存在する意味や価値を見失っている人はそこから考えてみても良いんだろうな、と思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.08 13:35:35
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