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「Life」を求めて

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2014.02.09
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カテゴリ:カテゴリ未分類
坐禅堂に坐り只管打坐する事が、かえって坐禅堂を離れることになる。
射に徹し集中することが、射を離れさせしめることになる。

「今ここ自分」という現場に徹するということが、そのまま現場を離脱させるという矛盾が起きてくる。
「修証一如」とか「心身脱落」とかいうことには、その構造が含まれている。

老子は「赤ん坊に還れ」という。
赤ん坊は自由自在である。小さな身体で、あんなに大きな声で泣けるのは、人間的な堅さが無いからだ。
命そのものから発せられる声だからだ。
お経にも命そのものを乗せていかなければと我が子を見て思う。

子に人間的な限定を加え、人間の世界に参加させしめることが教育である。
老子の言うように、赤ん坊に還るということは、人間を辞めるということだ。
澤木興道老師の言うように、坐して「人間を廃業」することだ。
人間的な場を離れ、自然に還る。
赤ん坊のように柔らかく、世界とケンカせずに。





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Last updated  2014.02.10 13:02:43
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