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お経を挙げるため、声を出すのに、ただ喉を使うだけではダメで、
アゴを引く、アゴを引くと骨盤が起きる。 骨盤が立つと腹が前へと落ちる。 腹が前へ落ちると横隔膜が下がる。 と、同時にみぞおちが柔らかくなる。 横隔膜が下がると、深い呼吸になる。 みぞおちが柔らかくなると喉も柔らかくなり、口腔も広く確保できる。 それでもって、あとは声が響く。 初心の頃はより大きく響く声を、出そう出そうと、喉にばかり力が掛かり、よく喉から血を出したり、声を潰したりしてしまっていた。 身体というのも、上下左右四方八方、心身共に相互に作用し合っている。 ただ、声を響かせようとする背景に、暗に陽に色々なことが関わってくる。 だから、日頃から姿勢、進退には気を付けるようにしている。 坐禅もそうだが、重力に対する自分の身体のあり方、正しい骨、内臓の収まり方、バランスの取れた正しい姿勢をとっていくことが、正しい信仰であるかのように思っている。 坐禅をすると姿勢と呼吸は調う。 姿勢と呼吸が整うと現実も整ってきたりする。 先日、仙台で尼僧さんの青山俊薫老師の法話の中で、 「目の前に咲く一輪のスミレのために、宇宙の全てが参加している」という話があった。 一輪のスミレのために、生態系における人間から微生物までの生命全体のバランス。 あるいは、地球と太陽との1億5千万kmの絶妙な距離感。 また、その距離を保っていられるのに、太陽系全体の位置関係、 太陽系の為の銀河系全体の位置関係。 それら全てが目の前の一輪のスミレが咲くことにの為に参加しているという事実。 「縁起」という観点から世界を見てみる。 すると今生きているということ、幸福というのは、その事実以上でも以下でもないとおもう。 この視点、この端末から世界が開けており、そこで生きている。 そのパースペクティブの背景に暗に陽に世界の全てが参加している。 幸福であろうとすることに、在るがまま、それ以上の条件を恣意的に求める必要無いんじゃないかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.14 13:05:58
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