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「Life」を求めて

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2014.02.18
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カテゴリ:カテゴリ未分類
日本の自殺率の高さは、
夢追い教育、
目標努力教育、そこに落ち度が少なからずあるのではないだろうか。
夢や目標、常識や世間というものから、挫折、脱落することに非常にもろい。
空を見上げさせるだけでなく、今ここに足を支える地もしっかりと意識させて欲しい。

目標を定める、すると途端に世界は方向性を持ってくる。
心が明確な意志として働く。
生きている世界の見え方が変わる。
毎日の時間の使い方も変わる。
出逢う人や物事への対応も変わる。
行動の全部が変わってくる。

受験生の意識、就活生の意識、総理大臣の意識、オリンピック選手の意識。
皆それぞれの価値を追い求め、それぞれ種々の世界を懸命に生きている。
その種々の世界観の中で、
成功失敗、勝ち負け、善悪、強弱、道徳不道徳、
人間はいつの間にか世界を二元論的に作り変えてしまう。
世界は本来無限定であり、豊かなはずである。
しかし、人間はその豊かな世界を限定し、抽象化することで効率的に、そしてすごいスピードで進化を進めることができた。
就活生が自殺する。会社員が自殺する。ストーカーが殺人を犯す。
それは世界や自分を抽象化しすぎる結果であるところが大きいのではないか。
世界や自分を見誤っている結果ではないか。
ある一つの目的論的な世界観における、ある特定の価値基準が、世界の基準の全てであると勘違いしてしまっている。

ただ一生懸命に夢を追わせたり、目標を追わせたりさせるだけの教育ではダメになってきているということだと思う。
挫折をしても、どんな取り返しのつかない間違いを犯しても、最後のベース、芯となる自覚さえしっかりとしていれば、簡単に自殺などしないだろう。
それは即ち、「今ここ自分」である。
そのベース基地に少しでも立ち戻ってこれればいいと思う。

本当は、いつもそこでしか生きていないはずなのに、でも、そこに腰を落ち着けていられない。
禅に家帰穏坐(きかおんざ)という言葉がある。
即ち、家に帰って心安らかに腰を落ち着けることだ。
人はいつも、今ここでないどこかを求めてしまいがちだ。
過去の栄光、未来への希望、他者への期待。
そのどこにも今ここ自分は不在であるはずなのに、ついついその向こう側へと寄りかかってしまう。
それでは転んで当然であろう。

腰を下ろして、ほっと一息つく。
家帰穏坐できるということが、どれほどの救いか。





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Last updated  2014.02.18 13:04:15
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