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「Life」を求めて

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2019.11.02
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カテゴリ:哲学について
内田樹先生『寝ながら学べる構造主義』(p168 文春新書)より引用 
「「鏡像段階」理論とは、ラカンが1936年に発表したもので、主体の形成において鏡に映る映像が持つ決定的な重要性を解明したものです。
 鏡像段階とは人間の幼児が、生後六か月くらいになると、鏡に映った自分の像に興味を抱くようになり、やがて強烈な喜悦を経験する現象を指します。人間以外の動物は、最初鏡を不思議がって、覗き込んだり、ぐるぐる周囲を回ったりしますが、そのうちに鏡像には実体がないことが分かると、鏡に対する関心はふいに終わってしまいます。ところが、人間の子どもの場合は、違います。子どもは鏡の中の自分のと鏡に映り込んでいる自分の周囲のものとの関係を飽きずに「遊び」として体験します。この強い喜悦の感情は幼児がこのときに何かを発見したことを示しています。何を発見したのでしょう。
 子どもは「私」を手に入れたのです。
 鏡像段階は「ある種の自己同一化として、つまり、主体がある像を引き受けるとき主体の内部に生じる変容として、理解」されます。(中略)
人間の幼児は、ほかの動物と比べると、きわだって未成熟な状態な状態で生れてきます。ですから生後六ケ月では、まだ自力で動き回ることもできず、栄養補給も他者に依存せざるを得ないという無能力の状態にあります。幼児は自分の身体の中にさまざまな「運動のざわめき」を感知してはいるものの、それらはまだ統一に至ることなく、原始的な混沌のうちにあります。この統一性を欠いた身体感覚は、幼児に、おのれの根源的な無能力感、自分をとりまく世界との「原初的不調和」の不快感を刻み付けます。そして、この無能感と不快感は幼児の心の奥底に「寸断された身体」という太古的な心象を残します。その心象は成熟を果たしたあとも、妄想や幻覚や悪夢を通じて、繰り返し再帰することになります。
 さて、この原初的不調和に苦しむ幼児が、ある日、鏡を見ているうちに、そこに映り込んでいる像が「私」であることを直観するという転機が訪れます。そのとき、それまで、不統一でばらばらな単なる感覚のざわめきとしてしか存在しなかった子どもが、統一的な視覚像として、一挙に「私」を把持することになります。
「おお、これが<私>なのか」、と子どもは深い安堵と喜悦の感情を経験します。視覚的なイメージとしての「私」に子どもがはじめて遭遇する経験、それが鏡像段階です。(ところで、もし鏡を持たない社会集団があったら、そこにおいて鏡像段階はどうなるのでしょう?どなたかご存知の方がいたら教えてください。)
 もちろん人間が成熟するためには、この段階を通過することが不可欠なのですが、よいことばかりではありません。「一挙に〈私〉を視覚的に把持した」という気ぜわしい統一像の獲得は、同時に取りかえしのつかない裂け目を「私」の内部に呼び込んでしまうからです。
 たしかに、幼児は鏡像という自分の外にある視覚像にわれとわが身を「投げ入れる」という仕方で「私」の統一像を手に入れるわけですが、鏡に映ったイメージは、何といっても「私そのもの」ではありません。一メートル先の鏡の中から私を見返している「鏡像の私」は、一メートル先の床の上でこちらを向いている「ぬいぐるみ」と「私そのものではない」という点では変わりがないからです。(中略)
 人間は「私ではないもの」を「私」と「見立てる」ことによって「私」を形成したという「つけ」を抱え込むところから人生を始めることになります。「私」の起源は「私ならざるもの」によって担保されており、「私」の原点は「私の内部」にはないのです。これは、考えれば、かなり危うい事態です。なにしろ、自分の外部にあるものを「自分自身」と思い込み、それに取り憑くことでかろうじで自己同一性を立ち上げたということですから。言い換えれば、「鏡像段階を通過する」という仕方で、人間は「私」の誕生と同時にある種の狂気を病むことになります。」
この鏡像段階は人間がフィクションとしての自我を獲得する段階であり、「私の誕生と同時にある種の狂気を病む」のである。その狂気を治療し、このフィクション以前の本来の自己の在り様に気が付いたのは、奇しくも水に映った自己の鏡像を見て悟りを得た洞山禅師である。
そして彼が悟った際に詠んだのが「過水偈」である。
以下小川隆先生の『語録のことば 唐代の禅』を参照する。
洞山の師匠である雲厳禅師の死の前に、洞山が師に問う。「和尚亡きあと、人から和尚の肖像を写しえたか(師匠の悟りを理解したか)と問われたら、何と申せば宜しいでしょう」。
「ただ、このように答えるがよい。只這箇漢是――これこのとおりの男がそれにございますと」。洞山はただ沈黙するばかり。そこで雲厳は重ねて。「この一手は、なまなかには呑み下せぬ。千万生もかかって、ようやく決着するものだ。そなたがチラリとでも意識を起こせば、妄想の草はたちまち一丈もの深さになろう。まして言葉にするなど、もってのほかである」。洞山の苦悶はなおもやまない。そのさまを見て雲厳は、よほど真意を明かしてやりたいと思う。しかし洞山は、それをきっぱりと謝絶する。「謹んで師に申し上げます。どうか説破するのはおやめ下さい。人の身である限り、どこまでもこの一事に喰らいついて参ります」。
 雲厳遷化ののち、三年の喪があけ、洞山は兄弟子「密師伯」とともに潙山に赴こうとしていた。大きな川を渡ろうとした折のこと、まず兄弟子がさきに渡り、そのあとにつづく洞山が、こちら岸を離れいまだ彼岸に到らざるところで、ふと水面に映った己が姿を目にし、ハッとさきの雲厳との因縁を大悟、顔色もすっかり変わり、カラカラと声を上げて大笑した。「師弟よ、何事だ」洞山、「謹んで師兄に申しあげます。それがし、亡き師の、はるかなるお助けに与りました」。密師拍「それならここで、然るべき一句がなければならぬ」。言われて洞山はただちに一首の偈を詠んだ。
 
洞山了价「過水」偈
切忌随他覓(切に忌む他に随いて覓(もとむ)ることを)
迢迢与我疎(はるかに我と疎なり)
我今独自往(我今独り往き)
処処得逢渠(処処に渠と逢うを得)
渠今正是我(渠は今正に是れ我)
我今不是渠(我は今渠に不是ず)
応須与摩会(応に須らく与摩(かくのごと)く会して)
方得契如如(方(はじ)めて如如に契うを得ん)
(小川隆『語録のことば 唐代の禅』禅文化研究所 参照)
また、これとよく似た言葉をのちに「寳鏡三昧」という経にて残している。「宝鏡にのぞんで、形影相い観るがごとし、汝これ渠にあらず、かれ正に是なんじ」
ここでの洞山禅師が体験した「鏡像段階」はラカンが説明した赤ちゃんの頃のように「自分の外にある視覚像にわれとわが身を「投げ入れる」という仕方で「私」の統一像を手に入れる」こととは真逆の方向性に働いています。鏡を通して自我像を獲得したのではなく、自我像を解体したのである。洞山禅師が水面に見て取った「渠」(かれ)というのは、赤ちゃんの鏡像段階という文脈を踏まえるならば「父母未生以前の本来の面目」であると言えます。 
もう一度「過水」偈を見てみましょう。
 
洞山了价「過水」偈
切忌随他覓(切に忌む他に随いて覓(もとむ)ることを)→「他」というのは赤ちゃんが覗き込む鏡の中の像。そこに本当の私はいません。
迢迢与我疎(はるかに我と疎なり)→見ている赤ちゃんと、鏡に映り込む赤ちゃんははるかな隔たりがあります。
我今独自往(我今独り往き)→本来は鏡は無く、唯一無二の開けからしか世界は見れないし、生きれないのです。
処処得逢渠(処処に渠と逢うを得)→そのように生きるところすべてが〈渠〉に現れる。それは我と大地有情(渠)が同時に成道(現成)しているところです。
渠今正是我(渠は今正に是れ我)→鏡に映る赤ちゃんの像は、確かに〈渠〉を仮に表出します。
我今不是渠(我は今渠に不是ず)→しかしその我の正体(渠)は、決して鏡に映り切るものではありません。
応須与摩会(応に須らく与摩(かくのごと)く会して)→このような自我の理解することで
方得契如如(方(はじ)めて如如に契うを得ん)→はじめて「父母未生以前の本来の面目」を我に於いて生きることになります。
人間の発達段階で必ずこの自我の狂気の呪いを受けてしまう宿命が人間にあるのであれば、その自我の呪いを解く治療方法を禅の祖師方は発見した。
その呪いの完治とはただ単に鏡像段階以前の赤ちゃんへと返ることではない。
鏡像の自我として生きながら、同時に自我以前の渠としても生きるということでもあります。
永井哲学で言えば、独在の〈私〉が世界内の「私」として生きていることの了解です。
「過水偈」のすぐれた洞察は、この〈私〉は「私」ではなく、「私」は〈私〉であるという独在性についてを言及しているところです。「我今独自往」という語もそれを表します。

釈迦の誕生偈と独在性につて
仏教の悟りにおいては、現成=〈渠〉そのものの自覚による存在驚愕を得るところまでいく、そこから永井哲学の核心である世界の開闢と「受肉」された〈我〉の驚きまで精密に参究した祖師は歴史上まれであるだろう独在性の独とは鏡像に受肉する奇跡であり、在とは渠が開闢している僥倖である。その受取の最も最醇なる方法は道元的な只管打坐の坐禅であろと私は思っている
そこに開けてしまったなら、救いの根拠にはもう十分で、いつでもどこでも何をしてても開闢している限りそれが世界そのもの祝福であり、救済である。仏教の修行はそこから始まらないと無意義であるし、キリスト教の理解にもそれが必要で、その奇跡と僥倖無い宗教は無意義ではないか。
釈迦が生まれて7歩周遊して、天地を指さし、「天上天下唯我独尊」と叫んだといわれる。7歩歩いたことは、六道輪廻からの解脱を比喩的に意味していると言われるが、ここではそのような神話的解釈はどうでもよい。唯我独尊の叫び、仏教教説がまさにこの僥倖と奇跡を含みながら、永井哲学と接続される叫びでもある
天上天下唯吾独尊 今茲而住 生分巳盡 」(天の上にも天の下にも、唯われ一人尊い、今ここに住し、また生まれ変わることもない。)実はこれは玄奘三蔵の『大唐西域記』に記載がある言葉で本当は釈迦ではなく、釈迦の生まれる以前の過去七佛の最初の一人、仏毘婆尸仏言った言葉とのこと。この言葉を釈迦が言ったか言わないかが重要なのではなくて、この認識を得た仏教者が(おそらく歴史上の仏弟子に)居たということがここでは重要である。
他に〈私〉の僥倖・奇跡性に肉薄した仏教者は親鸞であろうか。『歎異抄』の中の一文「弥陀の五劫思惟の誓願も、親鸞一人が為なりけり」というのはまさに〈私〉の独尊の奇跡性と救いの受けとりについての悟りを言及しているように思える。





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Last updated  2019.11.02 21:52:09
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