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テーマ:暮らしを楽しむ(387743)
カテゴリ:日本ってなんだ研究
縄文の暮らしを現代に! NHKスペシャルの『アジア巨大遺跡 縄文』観た! 前から三内丸山遺跡には注目していた。 縄文遺跡の中でも突出存在だったからね。
三内丸山遺跡は、青森市の郊外にある。 数百人という集団で、計画的に整備された道路に竪穴式住居を作って暮らしていた。 集団で使う大型の建物と 物見台のような高い塔があった。 つまり、集団で何か作業をし、他から来る人を見ていたということだ。 装飾品の中にヒスイの輪があったので、交易もしていたのだと思う。 たくさんの縄文土器も作っていたので、売っていたのかもしれない。 縄文人は、狩猟採集民だった。 世界の4大文明は農耕民族だったので特異な経済だったといえる。 一定の場所に定住した狩猟採集民の集団が、どこの文明よりも長く続いたということがすごい。 食料の供給が十分であった。衛生管理がされていた。集団の統制がうまく取れていた。大きな争いがなかった。と考えられる。 食料は、季節ごとの山菜、魚、貝、狩猟、栗、どんぐりで十分足りた。 特定の権力者を持たず、土偶などで宗教的儀式を行って、集団意識を高めていたのではないか。
縄文人のすばらしさは、農耕民族ではなかったからではないかと思うんだ。 農耕民族には、技術や富が集中して、弥生時代の初期の段階から、支配関係ができた。 農耕に頼るので、他からの収入が無い。 いってみれば、今のサラリーマンと同じじゃない?
縄文人の収入は、自然から得られる魚や貝や動物。季節ごとの山菜や木の実。 村を囲む森は栗林になっていたが、人工的に植林したものだった。 タダの採集生活ではなく、計画栽培だったわけだ。 鮭などの干物・栗などの加工。製造した土器などで交易もできた。 高い塔があるということは、他の地方の人が来たということだな。
縄文人の経済的基盤は、採集・狩猟・生産・加工・製造・交易。 揺るがない経済基盤。 むらづくりや、栗林経営に表れる、計画された運営。すごくないですか? 三台丸山遺跡の縄文人の経営は、多角経営だったのですよ。 三台丸山遺跡の縄文時代は、世界のどの文明よりも長く続いたのです。
サラリーマンだけでいいですか? 年金だけでいいですか? 自給自足だけでいいですか? 年金暮らしだけど、多角経営。これが、おいらの課題です。 今日も、清掃員がんばります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年11月11日 08時35分05秒
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