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川を上った人たち 構造線上の川を上った人たちは、丹(辰砂)を求めた。 辰砂というのは、古代の赤色の元であり、呪術に使われた。 また古墳時代からは、水銀を作る材料ともなった。高価だった。 中国の辰州で取れたので、辰砂と言われる。今の湖南省。丹生の民族より 日本では弥生時代から、埋葬や儀式に丹の赤が使われた。 海部氏の出身の丹後は丹生の産地と重なりますね。紀の国の海部も重なると思う。大分の海部も重なると思うが。中央構造線から少し離れるが、徳島の海部の当たりにも丹生神社が見えるがどうだろ? しかし、丹生一族は水銀の精製は知らなかったと、丹生の民俗 に書いてあった。つまりそれを伝えた民族が、次の勢力を持ったってことだな。 もう一つ気になったこと、皇室をのぞく日本最古の家系は、古代から紀伊国に威武をふるった紀氏。出雲国造家の千家・北島の両家。阿蘇神社の大宮司である阿蘇家。宇佐神宮の大宮司である宮成・到津家。隠岐国造家であった億岐家。丹後籠神社の宮司である海部家。熱田神宮の大宮司である千秋家。住吉大社の宮司である津守家、諏訪大社の大祝である諏訪家(神氏)といわれる。 紀氏・海部氏・隠岐氏はそうとう古い家系なんですな。 古い家系と丹生との関わりもありそうだな。 和歌山には、丹生都比売神社がある。世界文化遺産だそうだ。伊勢の丹生大師にも丹生都比売神社が祀られている。
丹…辰砂。不透明な赤褐色の塊状、あるいは透明感のある深紅色の菱面体結晶として産出する。『周禮』天官冢宰の鄭注に「五毒 五藥之有毒者」のひとつにあげられるなど、中国において古くから知られ、錬丹術などでの水銀の精製の他に、古来より赤色(朱色)の顔料や漢方薬の原料として珍重されている。 『史記』巻128貨殖列伝に「而巴寡婦清 其先得丹穴 而擅其利數世」、巴の寡婦清、その先んじて丹を得るも、しかしてその利を擅(ほしいまま)にすること数世と、辰砂の発掘地を見つけた人間が巨利を得た記述がある。 中国の辰州(現在の湖南省近辺)で多く産出したことから、「辰砂」と呼ばれるようになった。 日本では弥生時代から産出が知られ、いわゆる魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山 丹有」と記述されている。古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていた。 漢方薬や漆器に施す朱漆や赤色の墨である朱墨の原料としても用いられ、古くは吉野川上流や伊勢国丹生(現在の三重県多気町)などが特産地として知られた。 平安時代には既に人造朱の製造法が知られており、16世紀中期以後、天然・人工の朱が中国から輸入された。現在では奈良県、徳島県、大分県、熊本県などで産する。 ・・・工事中 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年02月13日 20時41分26秒
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