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ロビンソンの ちょっと楽しい縄文生活!

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2016年03月02日
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徐福は鉄も探していたかも?

NEC_0014.jpg

ふっと思いついたわ。確か山梨には桃太郎伝説があったわ。

どこかなと調べてみたら、都留市の上の大月市

徐福が鶴になって死んだところが都留

すぐ近くじゃない?

徐福の子孫が住んだとされる山中湖も近いです。

徐福の古文書が残ってるのは、富士吉田市です。

それから、徐福一族は富士吉田近辺に国を作ったと思われます。

徐福たちは、鬼一族で桃太郎に宝物(鉱山)を奪われた一族ですな。たぶん。

前から大月という地名に、大月氏を思わせるなと思ってます。

黒海東のトルクメニスタン辺りにあった大国で、秦の時代に栄えたが、漢によって壊滅する。

そこから来た人たちがいたのかもと思うわけよ。

びっくりポンだったわ。

徐福は、大月氏の民かも?

≪参考資料≫

失われた徐福のユダヤ人「物部氏」の謎」(飛鳥昭雄著)の「第8章 秦始皇帝はユダヤ人だった!!」からお送りします。
徐福の羸氏(えいし))という姓は紀元前10世紀末、周(しゅう)の孝王(こうおう)から非子(ひし)が授かったもので、広義の羌族を示すという。徐福自身は漢民族ではなかったようだ。また、秦の始皇帝と徐福は同族であったという著者の見解が正しいとすれば、不老不死の仙薬を東国の蓬莱山に求めさせた意図は一体どういうことだったのか?また、失敗してもどった徐福に再度、機会を与えたのは、不老不死の薬を求めさせただけではなく、他の理由があったのではないだろうか?推測してしまう。

     …るいネット秦始皇帝とユダヤ5~徐福もユダヤ人?より

ユダヤ人かはともかく、羌族というのは、月氏の一族なのだ。つまり、黒海の近くからやってきた部族の子孫ということだ。だから、西洋的な文化に詳しかったのかも?

そして、富士山近くの大月は、大月氏、

つまり徐福のルーツは大月氏なのではないか??

ここで、徐福が大月氏の国を作ったと考えるのは、古代史のロマンかな?

  …2013年9月13日山梨県大月市にある桃太郎伝説! に考えた 大月市の名前の由来は、大槻からだという。鉄を扱う渡来人たちは、サマルカンドの近くのモンゴルに滅ぼされた国 大月氏から来たと考えられないか? ビンゴかも?

≪鉄関係メモ≫

 日本とイギリスの巨石文化 メモ

 伊勢神宮・サウダー山ラインを地図に書いてみた!

 サウダー山から遺伝子の続く道!

≪はてな?≫

・景行天皇の息子 ヤマトタケルの東征の経路と年代照合

・大月近辺にハタの地名を調べる

・ハタと八幡の関係

・信州と秦と辰と音が同じなので、関係ないか?

・信州の豪族と中央との関係 

・濃の字を分解する。辰が秦だとすると サンズイは揚子江北のサンズイ(稲作民族)で、曲はマガールなのかも?マガール兵はネパールの最強グルカ兵のもととなっている。信州信濃。濃の仲間なのか?

・濃・豊・呉・越・楚(蘇)・高・駒・入り乱れた日本だった?

・キングは誰で、なぜキングになれたか?

≪参考資料≫

『徐福伝説』http://www.asukanet.gr.jp/tobira/jofuku/jofuku.htmより、富士吉田の徐福伝説を引用

山中湖に面した長池村は,以前は長命村と呼ばれており,蓬莱山に不老不死の仙薬を求めた徐福の子孫が住みついたとされる村です。

河口湖にも徐福に関する言い伝えが残っています。
 不老不死の仙薬を探し求めた徐福でしたが結局見つけることができませんでした。このまま国へ帰ることができず,徐福はここに永住することを決意しました。連れてきた童子300~500人を奴僕として河口湖の北岸の里で農地開拓をしました。この地の娘を妻として帰化し(注),村人には養蚕・機織り・農業技術などを教えましたが,やがてここで亡くなりました。
 亡くなって後も鶴になって村人を護ったので,ここの地名を都留郡(つるごおり)と呼ぶようになりました。

河口湖浅間神社の由緒書には「富士山の神,浅間明神を此の地に奉斎,・・・・伴直真貞(とものあたいまさだ)公を祝(はふり)に同郡の人伴秋吉公を祢宜(ねぎ)に任じ,富士山噴火の鎮祭を行う。これ当神社の御創祀」とあります。

 浅間神社本殿に向かう表参道両脇には杉の大木が立ち,境内地にも天然記念物の七本杉(直径2m以上,高さ40m以上)があります。
 この参道の中央に波多志神社と呼ばれる小さな祠が建っています。浅間神社の宮司さんに聞くと,この神社の創祀者である伴直真貞公を祀ってあると言います。この人物は徐福の子孫ではないかと考えられるのです。
 また,ここ河口湖周辺地域は昔から機織り・裁縫が盛んであったのです。徐福あるいは同行していた技術者たちが伝え広めたと考えます。

富士吉田市には真偽は定かではないのですが「富士古文書(宮下古文書)」が残っており,徐福の行動が詳しく記されています。

宮下古文書については東三河と徐福伝説(秦の徐福は東三河に定住していた!?)を参照 

富士吉田市小明見にある徐福像は徐福がここ富士吉田市に最終的に到達し,機織り,養蚕などの技術を伝えたことを記念して建てられています。
 「甲斐絹(かいき)」は山梨の織物として知られています。江戸時代に誕生したものと言われますが,甲斐国から「甲斐絹」と命名されたのは明治時代です。しかし,富士吉田市を含む富士山の北麓は千年以上前から織物が盛んでした。この技術を伝えたのが,中国からやってきた徐福であったと伝えられています。

徐福像の隣に建つのが徐福雨乞地蔵祠
 
 この祠のある小明見地区には龍神伝説が残っています。ここより西へ少し歩いたところに明見湖があり,かつては湖であったのが,富士山の噴火によって埋まってしまい,小さな池のようになったと言われています。ここに龍神が住むと言い伝えられており,村人たちは五穀豊穣を願って雨乞いをした所でもあるのです。湖畔に明見龍神社もあります。

上の祠から東へ100mほどの所に小山があります。民家の横を通り,細い道を行くと太神社の鳥居が見えます。そこから石段を上ると徐福祠の前に至ります。

ともに徐福祠。右は徐福大明神と書かれていました。
 この祠が徐福の墓ではないかと言われていますが定かではありません。

富士吉田市の北口本宮富士浅間神社東側にある高さ約1.6mの徐福碑。中国仏教協会長の趙樸初氏が徐福故事をしのんだ詩が石に刻まれています。この横に高さ約2.3mの日中友好の碑が建てられています。

徐福は不老不死の仙薬を求めて富士山に入りましたが,その途中で亡くなってしまいます。そして,3羽の鶴に化身して空に舞い上がったのですが,うち1羽が死んで福源寺に落ちてしまいました。この鶴を葬ったのが鶴塚です。
 富士山北麓地域の人たちはこの鶴塚を徐福の墓としています

こうして徐福はおよそ70歳でここ富士山麓で果てました。徐福やその子孫たちは多くの知識・技術を伝え,日本の文化や国の発展に大いに貢献しました。徐福と関わりの深い町は今でも中国との交流があり,姉妹都市提携を結んでいるところもあります。徐福は2000年以上経ってもなお語り継がれ,国を越えて人々の心の架け橋となっているのです。 






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最終更新日  2016年03月03日 10時39分28秒
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