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ロビンソンの ちょっと楽しい縄文生活!

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2016年03月05日
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相棒の逃亡犯から連想する徐福

NEC_0020.jpg

徐福(その子孫かもしれない)が、富士吉田近辺に住んでいたとして、

Why?

この高い山の様子から考えて、守りが固い。逃げ込んでいる

と考えたのは、相棒の逃亡犯から思いついたこと。

だって、小田原近辺に住んでもいいんじゃない?田んぼもできるし。

徐福は、海岸に近いところで生まれて、住んでる。渡航の船の手配もした。

大陸伝いに移動するのではなく、海路を選んだ。

つまり、海に慣れた民であったと思う。…騎馬系の歴史も文化も十分知っていたが。

それなのに、山の中の富士吉田近辺に住んだわけは、防御中心だったのか?

NEC_0012.JPG 徐福伝説の地

徐福伝説の地は、海岸沿いばかり。

徐福が来た時に、佐賀・熊本・宇佐・瀬戸内海・大阪・和歌山(紀)・伊勢には、既に国が作られていたのではないか。

だから避けた。東に東に行ったわけだ。

神武東征図.jpg 神武東征図 参考引用

徐福より300年ほど前、紀元前500年ごろの神武の東征図では、  …これは仮定

福岡(宗像)・大分(宇佐)・広島(安芸)・岡山(吉備)・大阪に来てるが、内陸には入れなかった。

熊野に回って、吉野・奈良盆地に入ってる。勢力もここまでなのだ。

神武天皇が通ってないところに、大きな勢力があったと見る。

四国には、別の勢力があった。

山陰にも大きな勢力があった。

奈良・紀州・伊勢にも大きな勢力があった。

真っすぐに近畿を目指したのは、そこに倒したい大きな勢力があったからだ。

それが、神武天皇の后・五十鈴媛命の父、事代主だった。

神武以前の日本No1の大ボスと考えている。

…事代主についてはまた、考えよう。

これだけ何年にもわたる長い遠征をするということは、

自国は、かなりの勢力を持ち、攻撃される心配がなかったということではないか?

イワレヒコは、南九州の王になっていた。 …まだ神武ではない。神武というのはのちにつけられた名前。イワレヒコは、九州勢力の暫定リーダーとなっていたのか?

  …呉王の子孫の狗奴国?熊本説もありかも?  呉国は、米作りの国。

NEC_0024.JPG ヨコハマ古道紀行さんより参考引用

ついでに、西暦100年前後と推定するヤマトタケルの東征図

神武天皇が制圧した瀬戸内海と九州の制圧に向かってる。

ということは、王の権力はまだゆるいものであったと考えられる。

古事記で、出雲方面に回っているのは、まだこの方面に不安があったからだ。

東北まで行ったか?行かなかったかは、定かではないし、

ヤマトタケルが、一人だったか、複数の勇士だったは、わっかりませ~ん。

でもね。

おいらがネットで調べた桃太郎伝説の最北端は、宮城でした。

宮城には、鉄が採れ、扱う民がいたんです。 

日本の中のカナンを探そう!  現在の宮城県石巻市もと宮城県桃生郡河南町には、金剛山があって、男鹿半島には金華山があるそうです。ここはアテルイで出てきた多賀城に近いです。

宮城県桃生郡河南町には、河南・金剛山・金華山…誰が来てたんでしょねぇ??

脱線ついでに、宮城の桃太郎伝説は面白いので、読んでください。

 

桃太郎神社/宮城県桃生郡河南町 その2から引用させていただきました。
 桃太郎は・・・・・鬼ケ島に行って鬼征伐をして、犬、猿、雉を連れて帰って
来て、お爺さんとお婆を喜ばせ、めでたしめでたしで終るのが殆どの桃太郎
話ですけれど、

その後の桃太郎はね、日本で俺くらい強い者はいないと慢心
して、犬や猿や雉を相手にして、毎日酒盛り して遊んでいたそうです。

鬼は、悪い事をして貯えた物だけれども、あんな若僧に持って行かれてしまった。
いつも酒ばかり飲んで悪事をしてきた罰だけれども、
このまま引っ込んではいられない、と思い虎の皮の褌を引き締めて
捩り鉢巻きで一所懸命働いたそうです。


そうして、すっかり準備ができてから、舟を仕立てて宝物を取り返しに行ったそうです。

桃太郎は毎日酒ばりくらっていたので、体がなまってしまい、
犬も猿も雉も酔っ払っていましたから、鬼共に負けてしまった そうです。


 鬼共は宝物を取りかえし、意気揚揚と帰って行ったそうです。
桃太郎をはじめ、犬と猿と雉は傷だらげになって、それから桃太郎は
心を入れ替えて、一所懸命働いたんだとさ。     ・・・一部略・・・

ヤマトタケルが、宮城まで行ったかどうかは分からないけど、桃太郎一族はここまで到達していることは確かだと思います。

 

さて、昨日は相棒ついでに、信州グルメで思いついた。

よく『秘密のケンミンショー』を観てたが、グルメが違うんだよね。

おやきを食べる地域と五平餅を食べる地域がある。麦と米。

知ってた?

どうも、北信濃と南信濃で別れるらしいんだけどさ。

それも混ざらないんだって。

それって、秦から来た人たちと、楚呉から来た人たちの食性の違いなんじゃないかと思ったわけ。

『項羽と劉邦』で、秦を制圧した項羽は、麦食が嫌で、関中を部下に与え、自分は米がとれるところに戻ったって書いてあった。食性は変わりにくいってこと。その作物が穫れるところに住む。

昨日の午後は、これを調べていて、ブログアップもできなかったけどね。

 

つまり、秦系の人は、麦食・粉食だったらしい。

麦食か米食かは、揚子江辺りで分かれるらしい。

「徐州徐州と軍歌は進む。徐州いよいか、住みよいか。しゃれた文句に振りかえりゃ、お国訛りのおけさ節。髭が微笑む、麦畑。」徐州は、麦だってことね。 

徐福は、麦食だったんではないかな?

NEC_0027.JPG 緑色が羌民族 羌 - Wikipedia

徐福は、羌(キョウ)という民族らしいという説が多い。

羌は、どこか調べた。

羌は、緑色の地域に住んだ。左下から中央部にかけて。

チベットから黄土高原に広がっている。戦いに強い種族だ。 

秦は、氐(テイ)という民族で、ピンク色の地域。

氐と羌はすごく近くて、生活様式もかなり近い。

ってことで何が言いたいかというと、彼らは、麦を食べていたってこと。

肉と牛乳もだろうけどね。

秦系の渡来人は、麦ができそうなところに住んだだろうし、

楚呉系の渡来人は、米ができそうなところに住んだだろうという妄想。

 

信州に戻って、

米系と麦系が住んでたんじゃないかという仮説が浮かんだわけよ。

そば系は、多分麦系の一種。

 

しかも、米系も、中央構造線で2つに分かれるらしい。

五平餅を完全につぶす系と 半殺しにする系があるらしい。

妄想が広がりすぎて、まとまりのがない話だわね。ごめん。

でもおいら的には面白い。

 

人は変わらないってことさ。

2500年前の痕跡がどこかにあるはず!!

今日も、妄想史は進む。

 

≪縄文から弥生へどう変わったを考える≫

2016年2月13日 司馬遼太郎と考える日本人とはなんだ?    

2016年2月13日 川を上った人たち

2016年2月14日 日本に来た桃太郎は、鉄を求めた!

2016年2月20日 項羽と劉邦になり、中国を駆け巡る!

2016年2月27日 歴史は大移動で始まる!

2016年2月28日 始皇帝は倒れたが、徐福は日本へ渡った?  

2016年2月28日 日本に渡った徐福 “数々の徐福伝説”   

2016年2月29日 同じ時期に同じことを

2016年3月2日 徐福は、日本で何をしたか?

2016年3月2日 徐福は、鉄も探していたかも?

2016年3月3日 徐福とヤマトタケルを重ねてみる

2016年3月5日 相棒の逃亡犯から連想する徐福






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最終更新日  2016年03月05日 11時24分36秒
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