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テーマ:暮らしを楽しむ(388213)
カテゴリ:日本ってなんだ研究
古代の中国から見たら日本は、 司馬遼太郎の『項羽と劉邦』を読んで、古代日本を妄想してる。 今朝は、目が早く覚めすぎて、2度目を読了した。
これが紀元前202年のことだから、 中国から海をはさんで、遙か東の島の日本はどうなってる? 秦の長安から日本を見てみた。 長安からは遠いなぁ。
だけど、徐福の斉からは、かなり近いな。 斉は、人と物の交流する場所で、早くから経済的にも、文化的にも開けていた。 孔子が生まれたのは、周末期の紀元前552年の魯国。斉のすぐ隣。 『項羽と劉邦』の300年前に、多くの文化人が出てるのだ。 この辺りの思想や文化が高かったことが分かるね。
戦国時代に秦と最後まで戦ったのは、斉だったのだ。武力もあった。 斉は、河川と道路と港と穀倉地帯を持った都市だった。財力もあった。 いろんな地方の情報もたくさん入っただろう。 日本のかなり正確な位置も分かっていたのではないか。 陸地伝いではなく、船をたくさん用意したそうだから。 おいらが徐福なら、どうやって3000人以上の人を日本まで渡らせることができるかな?
それから、呉も近いなぁ。越・韓・楚も…。 国破れた王族豪族は、殺されることが多いからね。 逃げた人も多い。 難民になって、日本に渡来した人も多いんじゃないの? 徐福以前にもたくさんの人が来ていたと思う。
徐は、紀元前512年呉に滅ぼされる。 呉は、紀元前473年越に滅ぼされる。 杭州は鉱山・水銀の採取。 中央構造線沿い。丹生姫。国姓は姫。 …丹生姫 紀氏 越は、紀元前334年楚に滅ぼされる。 稲作や銅の精製 断髪・刺青 北陸? …銅鐸銅矛 韓は、紀元前226年秦に滅ぼされる。 土木工事 姫姓韓氏。 … 楚は、紀元前223年秦に滅ぼされる。 楚・蘇 阿蘇 熊襲 強い戦士 九州へ? 徐福が斉を出港 紀元前210年(208年?) ひょっとして都落ちの王族によって、次々建国したかも? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年03月09日 12時06分28秒
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