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カテゴリ:日本ってなんだ研究
中国の古代から後漢まで 項羽と劉邦以前の中国を調べていて、姫氏の力が大きいことに気が付いた。 姫氏は、周王家の姓だった。 周・春秋・戦国時代の周王家に関係する国は赤色にしてみた。 力の大きさが分かる。 姫氏の由来に興味ある。アーリア人の初期の移動と同時期ではないのか? 圧倒的な力で国を治めていたようだ。 Tomy's Homeさんの『中国歴代王朝』が、国と国の関係がわかりやすかったので参考にさせていただいた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中国歴代王朝より抜粋 http://www5.airnet.ne.jp/tomy/koten/jidai.htm ・殷 ~紀元前1500年頃 実在が明白な最古の王朝。今の河南省を中心に黄河下流域に威を振るう。「商」と自称。開祖は湯王。神権国家で、王は上帝(天)に仕える宗教的最高権威者として、卜占(ぼくせん)をもって天意をうかがった。30代紂(ちゅう)王の時、周(しゅう)の武王(ぶおう)に滅ぼされた。最後の都(王朝の後半期)が殷墟(いんきょ)。青銅器文化が栄え、文字(甲骨文)の使用開始。 ・周 紀元前1100年~紀元前256年 姓は姫(き)。西周とも呼ぶ。封建制度をもって統治。開祖は武王(ぶおう)。太公望(たいこうぼう)の力をかりて殷を滅ぼす。都は鎬京(こうけい)(12代幽王まで。後の長安)。諸侯国間に礼秩序による政治体制を敷く。前771年北西方から侵入した犬戎(けんじゅう)に追われ、前770年、13代平王は成周(今の洛陽(らくよう)付近)に遷都。これ以後を東周と呼ぶ。王室の統治力が弱まり、春秋戦国時代となる。周王室は前256年、37代のとき秦(しん)に滅ぼされる。 ・春秋戦国時代 前770年~前221年 前770年、周の東遷から、前221年、秦の統一までの約5世紀半の間をさす。前403年、韓・魏・趙が晋を3分した時を境に、前半を春秋時代(「春秋」の名に由来)、後半を戦国時代(「戦国策」の名に由来)に分ける。 周室の衰微により、群雄割拠の状態となり、対立抗争が激しく繰り返され、春秋末期にはその中で比較的勢力の強かった秦・晋・斉・楚・魯・衛・燕・曹・宋・陳・蔡・鄭・呉・越の14国が残った。 さらに各国内での権臣の内紛も多く、晋を韓・魏・趙の3氏が分割し、周王から諸侯と認められ、戦国時代に入った。 新興の韓・魏・趙と斉を奪った田氏と秦・楚・燕の7国(戦国の七雄)が、それぞれ勢力を競ったが、西方の秦の力が増大するに及び、他の6国は内紛などで衰微し、秦の東進によって統一された。 氏族共同体は解体され、成文法(刑法)が公布、官僚制成立、封建制から郡県制への移行が行われた。鉄製農具の開発により生産力が飛躍的に増大、金属貨幣の流通が始まった。諸子百家が活躍、中国思想の源流を形作った。 晋 紀元前1100頃~紀元前376 姫姓。周の成王の弟叔虞の後裔という。都は絳(こう)(山西省侯馬市)。前7世紀後半、文公に至って楚を破り周を助けて国力大いに振い、領土は河北の南部、河南の北部に及んだ。権臣の力が強まり前453年、韓・魏・趙(三晋)の3家に分割。前403年に3家は周の王室から諸侯として認められた。前376年、晋の公室は40世約7百年で三国に滅ぼされた。 斉 紀元前1122年~紀元前221 周の武王が呂尚(太公望)を封じた国。今の山東省の地。都は臨シ。姓は姜(きょう)氏。前679年、15代桓公(かんこう)は覇者となる。386年、29世で田氏に滅ぼされた。都は営丘。前221年秦に滅ぼされた。 楚 ~紀元前223年 江中流域を領有。周の武王の時、帝ギョクの子孫の熊繹(ゆうえき)が封ぜられたと称する。都は郢(えい)。前597年荘王の時、中原に覇を唱える。強大を誇ったが、前223年秦に滅ぼされた。 魯 紀元前1055年~前249年 周公旦の長子伯禽が封ぜられる。都は曲阜(きょくふ)。のち分家の三桓氏が実権を握り、前249年34代頃公の時、楚に滅ぼされた。孔子の生国。「春秋」を編纂。 衛 紀元前11世紀~紀元前209年 周の武王の弟康叔を祖とする。今の河北省西南部から河南省北部にわたる地。初め朝歌(河南省)に都し、後しばしば遷都。前209年君角の時、秦に滅ぼされた。 燕 紀元前11世紀~紀元前222年 始祖は周の武王の弟、召公セキ。今の河北・東北南部・朝鮮北部を領す。都は薊(けい)(現、北京)。前222年43世で秦の始皇帝に滅ぼされた。 宋 ~紀元前286年 殷の宗族微子啓が封ぜられ、商丘(河南省商丘県)に都した。前286年32世で斉・魏・楚3国に滅ぼされた。 陳 ~紀元前478年 周の武王が舜の後裔を求めて陳(今の河南省淮陽県)に封じたもの。前478年楚に滅ぼされた。 蔡 ~紀元前447年 都は河南省上蔡県の南西。武王の同母弟叔度の封ぜられた国。前531年楚に攻められ、都を安徽に遷した後を下蔡といい、それ以前を上蔡という。のち楚の恵王に滅ぼされた。 鄭 紀元前806年~紀元前375年 周の宣王の弟友(桓公)を祖とする。今の陝西省渭南県の地。のち、今の河南省新鄭県に移る。韓の哀侯に滅ぼされた。 呉 ~紀元前473年 周の文王の伯父太伯の建国と称する。長江河口地方を領有。楚を破り勢を張ったが、前473年夫差(ふさ)の時、越王勾践に滅ぼされた。 越 紀元前600年~紀元前334年 はじめ中国東南の少数民族から出たと考えられる。隣国呉と抗争、前473年、勾践(こうせん)は呉王夫差を破り覇者となる。都は会稽。前334年楚の威王に滅ぼされた。 韓 紀元前403年~紀元前230年 もと晋の六卿の一。前453年魏・趙とともに晋を3分割し自立。前403年に周王により諸侯に列せられた。都は平陽・宜陽・鄭と変遷。国勢盛んであったが、前230年11世で秦に滅ぼされた。 魏 紀元前403年~紀元前225年 晋の六卿の一。前453年、魏斯(文侯)が、韓・趙とともに晋を3分割し自立。前403年に周王により諸侯に列せられた。都は安邑、のち大梁に遷る。山西の南部から陝西(せんせい)の東部および河南の北部を占めた。後に前225年秦に滅ぼされた。 趙 紀元前403年~紀元前222年 もと晋の六卿の一であったが、前453年、韓・魏とともに晋を3分割し独立。前403年、諸侯となった。都は晋陽(しんよう)、のち邯鄲(かんたん)。武霊王の時、王号を僭称、一時強盛を誇ったが、前222年秦に滅ぼされた。 ・秦 紀元前771年~紀元前206年 最初に中国を統一した。戦国時代に台頭、前256年に周の王室を滅ぼす。さらに、始皇帝は前230年~前221年に六国を滅ぼして天下を統一、初めて皇帝の号を用いる。しかし、その死後、帝国は瓦解、3世にして漢の高祖に滅ぼされる。始皇帝は中央集権を推進するとともに、外征を行い中国の領土を拡大。万里の長城や阿房宮を建設、焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)を行い、度量衡・貨幣・文字を統一した。 ・前漢 紀元前202年~紀元後8年 西漢とも呼ぶ。前202年項羽を倒した劉邦(高祖)が天下を統一した。都は長安。官制・法律のほとんどを秦制にならい、郡国制を採った。7代武帝の代に儒教を国教として思想統一を図り、中央集権的専制支配を完成。後8年、15代の時、王莽(おうもう)に簒奪される。 ・新 紀元後8年~紀元後23年 王莽が建国した国。前漢の外戚だった王莽が幼少の皇帝を立てて実権を握った後、自ら帝位についた。古典を重んじた現実性のない政治に、内外ともに反抗をまねき自滅。光武帝により漢朝が復興。 ・後漢 紀元後25年~紀元後220年 東漢とも呼ぶ。25年、劉秀(光武帝)が劉氏の天下を復興した。都は洛陽。幼帝の即位が続き、外戚・宦官の政争が重なると共に、184年黄巾(こうきん)の乱により漢王朝は衰退。220年魏に滅ぼされる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年03月11日 09時26分26秒
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