「話し合い絶対主義」・・・という発見。
2010年も残り少なくなってきた。 2010年も例年以上に濫読の海を漂流してきたが、 一つ、特徴的なのは、「古代=神話」に大きく傾斜したということだろう。 「古事記」、「日本書紀」、「続日本記」などに分け入ってみた。 つくづくと思うのは、この日本という国は、 「話し合い絶対主義」のDNAが延々と続き一貫しているということだ。 「話し合い絶対主義」という言葉は、かの、山本七平氏の造語らしい。 ・・・・・・・・・・・ 「大祓(おおはらい)」として、6月と12月の晦日に各神社で祝詞が奉じられる。 祝詞のなかでいちばん古いものが、「中臣祓ひ(なかとみのはらい)」らしい。 そのいちばんはじめの、いわゆる、「天孫降臨」の部分にはこうある。 ・・・・・八百万の神たちを神集へに集へ賜い神議りに議り賜いて・・・ 「八百万の神様たちにご参集を願い、神様会議を開いて諮問した・・」 とある。 豊葦原瑞穂の国はアマテラスが主宰した八百万神様会議で議決してできた。 形式上ではあっても、「話し合い」で決めたということになっている。 ・・・・・・・・・・・ 聖徳太子が国政のあり方として制定した「十七条の憲法」第一条はこうだ。 「和を以って貴しとし、逆らふこと無きを宗とせよ(略)・・・・・、 上 和らぎ 下 睦びて、事を論ずるに叶うときは 事理 自づから通ふ。何事か成らざらむ 」(簡単に読みくずし)。 人民の上も下も、十分に「話し合い」をすれば成らないことなどない・・。 ・・・・・・・・・・・・ 明治新政府の発した「五箇条の御誓文」の第一条は次のとおりである。 「広く会議を興し、万機公論に決すべし 」 ・・・・・・・・・・・・ 基本的に強いリーダーのリーダーシップを忌避する国柄なのであろう。 2010年は政治的混迷のうちに終わろうとしているが、 この国の国柄が「話し合い絶対主義」であるなら、 来たるべき年もまた、政治的混迷を甘受しなければいけないのだろうか。 否、そういうふうに考えるのではなく、 「全国民的コンセンサスこそ第一番」のありがたい国柄だと思うことにしよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・ Well Hellow、 Good Old Friennd of Mine !! See You Again, Soon !! Good Bye !! 2010`s Thank You !!