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カテゴリ:法科大学院と司法試験
私は、一度社会に出てからロースクールに入ったので、「ロースクールの勉強ってとても楽しいものだ」と真面目に思っていました。
社会人の方ならだれでも、「こんなことなら、もっと勉強しておくのだった。」と、自分の不勉強さをくやんだ経験があるはずです。私もご多聞にもれず、「もっと勉強しておくのだった。」という後悔をいやというほどした後の学校復帰だったわけです。そして戻ってみたら、想像以上に勉強が楽しく思えました。これは、知的好奇心を満足させるものがあるという意味もあると思います。 でも、3年生の後半に入った今、ロースクールの勉強と一口に言っても、受験と学習は似ているようで違うのだとうすうすわかってきました。 何が違うって、私自身の傷つき方が全く違うのです。 知識を覚えることなどは、受験も学習も同じような気がしますが、根っこの部分で自分の欠点に気付いて直すことに重点があるように思います。 学習は、「ああ!そうだったのね!」と感動する余裕があります。感動すればそれでしばらく喜んでいられるし、みんなと発見の喜びを分かち合うことができます。そういう部分も試験勉強にもないわけではないですが、試験勉強はそれ以上に「お前は、ここができていない!」「これがわかっていない!」「ちゃんと書けていない!」と自ら欠点を発見して、それを直しながら、新しい知識も覚えつつ、表現の仕方も身につけることが必要なようです。 それって、見ようによっては超自虐的。特に、点数というシビアな資料を見せられながら、自分の答案の一行一行について、ぐうの音も出ないほどもっともな「お前はここができていない!そこもかしこもできていない!」という指摘を受けると、無言になるしかありません。いや、これは大変です。 みんなが「勉強はいやだ」という意味がようやくわかりました。「単に緊張するから嫌」なんて代物ではなかったのです。みんな、もしかして、こんな自虐的な試験勉強をずっとやってきたのでしょうか。どうりで、元気がないはずだよね。なんで、20代30代の若者が、こんなに元気がないのだろうかと不思議に思っていたのです。 それで、私がやたらと元気で浮いて見えるわけなのですねー。考えてみたら、私はそういう勉強を今までやったことがなかったのです。 試験ができなくてその時は落ち込んでも「まあ、明日から気持ちを切り替えて」ってな感じで、本当に脳天気にできなかった事実を忘れてやり直すくらいでした。それでも、ここまで人生渡ってこれたのです。でも、今度受けようとしている司法試験は、そんなおめでたい考えでは到底合格できないようです。 今日は、民事訴訟法と行政法の答案が返却されてきました。目下、それの検討に取り組んでいます。これも、民法同様、もっと、問題文をよく読んで、答案の書き方を変えれば全然点数が変わりそうな感じです。 私は、事実よりも、問題が読めていません。問題文の中に「1と2を比較して論じなさい」と書かれているのに、比較していないのにはびっくりしました。指摘されるまで気付きもしませんでした。ちゃんと答えているつもりでも、問いに正面から答えていないので、論点落ちも出るし、段落立ても垢抜けない。「なるほど、これではいけない。」と、民法の時以上に感じました。 どの科目もダメ出しされると、結構唖然とします。なんで、こんな状態なのに、ロースクールの成績が良いのだろう。先生方は、何を見て評価してるんだ?? 自分の理解の程度が良くないことは感覚的に良くわかっているので、「あ、やっぱりね。」という感じで受け止めているのですが、あと、半年で試験という現実とつき合わせるとダメージは大きいです。 まだ、ジャブくらいのダメージならば何とかなりますが、今の私のダメージは、アッパーカットくらいです。これでも受けようによってはダウンにつながります。この状態で持ちこたえて乗り越えるまで、右ストレートは来ないで欲しいけど、そう思えば思うほど、右ストレートが来るものなのが私のこれまでの人生でありました。 残りの科目も、覚悟を決めて戻ってくるのを待ちましょう。何となく展開が読めてきたなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年11月09日 19時45分14秒
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