|
カテゴリ:カテゴリ未分類
その日は,名古屋の某女子大でお話をさせてもらうことになっていて,「お昼を食べたらいよいよ授業の時間だ」と思いつつ,イタリアンのお店に入って携帯を見たら,安部元総理の銃撃事件がニュースになっていました。何事かと思いました。日本で起こったことなのかと驚きました。午後も,そのニュースが繰り返し流れていて銃撃の瞬間の映像も流れましたがその銃撃音に驚きました。これは鉄砲ではない。こんなので撃たれたらひとたまりもない,と思いました。
何だろう,一撃必殺の強い殺意。素人ではない印象でした。こんな大きな銃撃で,まわりに大勢の人がいたのに他にけが人がいないことも,攻撃の技術の高さを感じさせました。後で自衛隊員だったと聞いて,なるほどそれならやれるかもしれないと思いました。宗教とからんでいる話と聞いて,わけがわからなくなりましたが,その後のニュースで何となくわかってきました。 旧統一教会の話と,宗教問題を担当している弁護士の話がほぼ同時に流れたことはマスコミとして良い配慮だったと思います。 でも,これだけの大事件が,政治的な思想の問題ではなく,宗教とお金という消費者問題や政治と宗教のお金と選挙の協力者集めという問題と関連して起こったことは世間に新たな気付きを与えたのではないかと思います。強い力のある政治家と関係がある宗教には警察の捜査が入らないって本当なんでしょうか。岸総理は,この犯行を「民主主義への冒涜」のような表現をしていましたが,犯行の動機はそうではなさそうなことは誰でもわかると思います。でも,そのように言わないと亡くなった方を神格化させることは難しくなってしまうのだろうと思います。そして,国葬を執り行うことにして,少なくともそれまでの間,政治家たちをまとめていく時間を稼ぐことが大変重要な状態なのでしょうね。事件後すぐに決めたのは国民に対してというよりは政党内部に対してという側面が大きかったのではないでしょうか。何が何でもそうしないとまとめていけないと総理は思っているようですから,その判断は覆らないと思います。本当に大変な状況(何がどう大変なのかはわかりませんが)が生じているのだろうと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年07月24日 17時48分28秒
|