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昨日は、アトラスでの音叉セミナーに参加。
億万長者になったら、色んな人にプレゼントしよう。 私が体験したのは「チャクラ音叉」。 第3チャクラと第7チャクラの音叉が選ばれた。 頭の中で何かが「きゅうーー」っと詰まる感じがした。 何やら「ずれ」を調整している証拠らしい。 「DNA音叉」や「神の音音叉」も体験したいなぁ。 埼玉までの遠い道のり、参加者のM子さんとご一緒させて頂いた。 M子さんは、ホメオパス。 2時間色々お話を伺えて、とても有意義な時間となった。 頭も良くて、美しい。なんて素敵なんだ! 私が今年出逢う方は、皆美しい。 ペットの安楽死について話していた時 「安楽死を選択せず、苦しむ姿を見るのは、辛くても飼い主なのだから仕方ない。それが飼い主の責任。」 と、おっしゃった。 私もそう思う。安楽死したいか、したくないかは、その子が決める事だ。 「良い時も、悪い時も、一緒に居るのが当たり前」 この言葉を聞いて、何故か、バツ丸が浮かんだ。 泣きそうなのを、堪えた。 現代医療の話になり、もう駄目だー。我慢出来ん。 私の亡くなったおばあちゃんは、座りっぱなしで全身がむくみ、トイレにも行けず 同居の伯父が、1人で看られないからという理由で 母(ケアワーカー)が勤める病院に入院させられた。 「娘が居る病院だったら安心だろう」と母は言ったが、そんなはずないと思った。 おばあちゃんは、昔から病院が嫌い。 「家に帰りたい」と「毎日眠れない」と言った。 「家に帰してあげたい」と言っても、何も飲べられず、水すら飲めず 「点滴をしてるのに、どうやって家で面倒看るの」と言われれば 無知な私に術はなく。 「野菜が食べたい」と言うおばあちゃんに、食べてもらおうとすると 「気持ち悪くて食べられない」と言う。 1口、口に入れた途端に戻してしまった。私が、無理をさせてしまったんだと思う。 それから、何度も吐くようになってしまい、「胃カメラを飲ませる事になった」と母が言う。 『ちょっと待ってよ。健康な私でさえ胃カメラなんて嫌なのに、93歳のおばあちゃんにそれをさせるの?!』と思っても、強く反対出来ない。 知識が無い。代案が無い。 胃カメラを飲んで分かった事、「末期の胃癌」だって事。 それが分かったからって何になるの? 我慢してたのかもしれないけど、それまで「痛い」とも「苦しい」とも言わなかったんだよ。 私と妹が病院に行った日、物凄く具合が悪そうだった。 そして翌日亡くなった。入院9日目だった。 その時の両親の言動の酷さと、後悔と、自責の念で、気が狂いそうだった。 「あの時、私がキネシオロジーを使えていたら」 「ホメオパシーを知っていたら」 「もっと知識があったら、あんな事にはならなかったんじゃないか?」 「おばあちゃんは、あんなに苦しまずに済んだんじゃないのか?」 「同じ病室だった、おじいちゃん、おばあちゃんにも、苦しんで欲しくない」 「後悔しても、今更おばあちゃんに何かしてあげられるわけじゃない」 「私は医者じゃないし、キネシオロジストじゃないし、ホメオパスでもないし、納得してもらえないかもしれないけど、どうやって発信して行けば良いんだろう?」 「母や看護師の従姉妹にも、キネシやホメオパシーを知ってもらいたい」 泣きながらM子さんと話して、気付いた事がたくさんあった。 ずっと、両親を許したくても許せなかったのは、自分を許してなかったからだ。 頭では、良く分かってるつもりだった。でも分かってなかった。 「つもり」は、「つもり」でしかない。 家に着き、丁度帰宅したバツ丸にM子さんとの話をしようと思ったら 何だか泣きながら、おばあちゃんと、キネシの事を話していた。 「どうして私が、キネシオロジストになりたいのか」 「キネシオロジーって、どういうものなのか」 少し分かったみたい。 私は今まで、分かってもらいたくても、本気で伝えようとしていなかったのかもしれない。 ここでもまた、「本気のつもり」だったんだ。 「おばあちゃんが、紗和之新がもっと頑張れるように教えてくれたんだね」と M子さんと同じような事を言う。 私の絶大な目標は、おばあちゃんなんです。 おばあちゃんは、その笑顔だけで、私を物凄く幸せにしてくれた。 おばあちゃんが笑うと、笑わずにはいられない。 どうしたら、あんな笑顔になれるのか、私には分からない。 私に出来るのは、意思ある行動です。 今まで私に関わってくれた皆様、これから関わってくれる皆様 ありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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