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テーマ:信濃の風景(234)
カテゴリ:信濃の風景
【諏訪の風景】 2010年1月31日に諏訪神社を訪ねた時に、この「万治の石仏」を見てきました。この時も、お参りに来る方が多く、背景にそうした方々が写らないようなチャンスを待っている時間が長かったです。この石仏は、会津の岡本太郎さんが絶賛したと地元の方がお話し下さいましたが、所々に気になるものが彫られています。 この写真だと比較的判りやすいのですが、両手の印が弥陀定印とは少し異なっています。また、この写真でははっきりしないのですが、不思議な文字が彫られています。どう考えても、、仏像に彫られることはない文字です。ただ、キリシタンはその文字を知っていたであろうと思われる文字です。 そして、鳥居を造るためにこの石に「ノミを入れた」のであれば、この石工達は高遠石工であった可能性が十分にあると考えられます。高遠石工は石仏や石像を彫るだけでなく、神社の鳥居や、狛犬なども彫っています。会津には、高遠石工の名前が彫られた鳥居や石灯籠が残っています。また、ごく僅かですが、高遠石工の名前が彫られた石像も残っています。 万治三年は1660年ですが、この年から宗門人別帳が帳面化され、管理が徹底され始めています。また翌年には、老中・松平信綱から、キリシタン穿鑿命令がだされ、岡山藩では「廃仏毀釈」政策によって、すべてのお寺が破却され、宗門人別制度は神社が担わされ始めています。ただし、この時には既に、幕府の初代宗門改役・井上筑後守政重は隠居し、軍学者であった北条氏長が大目付兼宗門改役になっていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.30 10:58:44
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