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テーマ:信濃の風景(234)
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【信濃の風景】 これは今年の2月に高遠を訪ねたときに撮った写真です。ここでもご紹介しましたが、ある村の中に並べられています。ただ、この場所は村の中の道と街道が分岐する三叉路になっていて、ここから右手の方に行く路が旧街道であろうと思われます。現在は、国道が拡幅された時に、新しい橋が架けられ、村をバイパスするようになっています。 カーブミラーの高さと比べていただくと、この石碑が大きなものであることをお判り頂けるのではないかと思います。旧高遠藩領内だったところだけでなく、伊那谷ではこうした「庚申」碑や「甲子」碑を、村毎にその大きさを競い合って、庚申の年や甲子の年に建てたそうです。ですから、当然のこととして大きな村には大きな「庚申」碑や「甲子」碑が残っています。 明後日からまた伊那谷を訪ねることにしていますが、「爆弾低気圧」が明日の正午頃にどこにあるかで、最終的な判断をしようと思っています。一般的には緯度が高くなると低気圧は速度を上げるようなのですが、今回の「爆弾低気圧」は偏西風には乗っていないようです。小生の占いでは、明日の昼過ぎ頃から速度を速めるという卦が出ています。 いざとなったら、夕方までに伊那谷に着けばいいと思って走ろうと思っています。どうしても訪ねたいところはそれほど多くはありません。ただ、その一帯は今準備している論文に、もしかすると密接に関わっているかもしれないと思っています。伊那谷の木地師集団が特別な技能を持っていたとすると、あの会津の消えた木地師の村の存在理由がはっきりしてきます。このことに関しては、史料にはまったく記されていませんが、軍事機密に属することですから、文字にすることは考えられません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.05 20:23:57
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