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テーマ:会津の風景(427)
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【会津の風景】 会津のとある村に建てられているお堂に祀られていた2基の石仏です。上は錫杖と宝珠を手にしている地蔵菩薩像だったのではないかと思われます。下は不動明王像であろうと思われます。この写真を撮ったのは、2006年5月23日でした。『新編会津風土記』に記載されている村名と、現在の村名が異なっているのが気になっていたので訪ねてみました。 こうしたケースは会津藩領内では、いくつもあります。ただ、この村の場合は、現在の村名が江戸時代の行政上の分類名になっているのですが、会津藩領内でもこうしたケースはこの村だけです。おそらく明治初期に町村制が施行された時に、江戸時代の行政上の分類名が村名になったのであろうと思われます。こうしたケースは、会津藩領内でも天領南山御蔵入でも、この村だけにしか見られえません。データベースを作っている時に、このことに気がつかされていました。ただ、江戸時代の村名と現在の村名が異なっているケースは、この村以外にもあります。 そして、会津藩領内の村々の中には、最近になって行われた町村合併時に村名が、『新編会津風土記』に記されている村名に戻されているケースもあります。ただ、こうした事例は会津だけでなく、日本の別の地域にもあったようです。こうしたことは国土地理院のサイトにある地形図と会津のキリシタンを研究し始めた頃に手に入れた国土地理院の地形図を比べても判りますが、町村合併時に郵便番号が変更になっているので、その一覧表(ネット上にあります)を見るほうが判りやすいと思います。 歴史とそれに関する行政に関しても、そうしたデータを見ていると判ることがあります。そして、そうしたことが何故行われたのかは、そうした村々のお堂や墓地を歩くと見えてくることもありました。この村のそのひとつの例です。しかも、非常に興味深いモノが残っていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.15 08:26:08
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