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テーマ:キリシタン(4919)
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【キリシタン殉教の地】 この石が積まれているのは、おそらく以前からここにあったものであろうと思われます。小生が最初にここへ来たときにはまだ、現在のようには整備されていませんでした。そして、土津神社の手前に「バテレン塚」と書かれた表示板があったのを憶えています。会津に住みはじめて最初の冬には、毎晩のようにここを車で上がって行っていましたが、藩主を祀った神社の近くに何故「バテレン塚」があるのか、不思議でなりませんでした。 それだけではありません。現在はここへ行くのに前述した道を行くのが楽なのですが、以前には、あの沢を下から上がってくる道があって、その道を上がってくると「殉教の地」に出たそうです。地元の方からお伺いしたので間違いないと思います。そして、現在は杉林に囲まれているので、昼間も薄暗いところですが、この一帯はかつては萱畑だったと、また別の地元の方からお伺いしたことがあります。 そして、最近になって、土津神社の手前右側に駐車場が造られましたが、かつてはあそこには、藩主が土津神社にお参りに来た時に休憩された建物が建っていました。萱葺き屋根の大きな建物でした。小生は何回も見たことがあります。そして、その駐車場の東側に、服部安休の墓の案内板がありますので、それに従ってあの服部安休の墓を是非見てきて下さい。多くの方が驚かれるであろう墓石がありますので、そこに彫られている文字列をメモしてきて、ネット上で検索してみて下さい。 小生は、かなり以前にある方からその経緯をお伺いしていたのですが、それを明らかにする確固とした証拠を見て、唖然としました。「事実は小説よりも奇なり」を痛感させられています。1998年にキリシタンの研究のために会津を巡り始めたのですが、会津には凄いモノが沢山残っていますが、それを伊那高遠と関連付けると、理解することが出来るようになります。 ※写真の石積みはかなり古いものであろうと思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.07 16:59:17
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