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テーマ:歴史研究(36)
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【東日本大震災】 これは、2012年4月25日に撮った写真です。あの東日本大震災で、鶴ヶ城でも崩れた石垣がありました。上の写真に写っている部分は、明治時代に出版された、本丸御殿の配置図からすると明治になってから積み直されたのであろうと考えられます。下の写真に写っている部分も、残っている部分からすると、古い時代に積まれたものではなさそうです。そして、下の写真だとはっきり判るのですが、角錐型の石と石に間に少し大きな石を入れて、そこへ小さな砂利を詰めていたことが確認できます。ですから、新しい石積みだとしても、明治以降のものではないだろうと思いますが、『会津藩家世実紀』にはこの部分の補修に関する記録はありません。 ただ、石積みの原則の一部は確実に残っていますから、石垣石工が積んだ可能性は低くないだろうと思います。ただ、これ以外にも、「危なそうだな」と思えるところがありますが、積み直しは不可能であろうと思います。そこは、最近になって積み直しされたのですが、「孕んで」出来てしまったので、もう一度積み直しが為されたのですが、積み方に問題があったのか、また「孕んで」きてしまっています。 鶴ヶ城の石垣が積まれたのがいつ頃であるかの史料として、『会津鑑』にある絵図が使われているようですが、加藤明成が城を改築し始めたのは寛永十六年(1639)です。そして、戊辰戦争の後、城内にあった建物はすべて取り壊されました。(「御三階」だけは移築されていますが‥‥‥)つまり、19世紀半ば過ぎ以降、石垣の上に建物はなかったということになります。ですから、現存する石垣には上からの重みがかかっていないということになります。上からの重みによって、自動的に「扇の勾配」が保てるように造られていますから、崩れてしまうと再構築することは出来ません。 小生の手元にある、石垣に関する文献には、石垣石工は文書に残すことはなく、そして経験のある石垣石工も既に絶えたと記されています。小生が知る限りでは、「孕み」を防いだり、崩落を防ぐための方法は、石と石の間に樹脂を高圧で注入する以外に方法はなさそうですが、かなり高額な費用がかかるだろうと思います。アメリカは、グランドキャニオンでそれをしようと考えたのですが、費用が天文学的数字になるので、「崩落も自然である」と考えたと、グランドキャニオンで聞いたことがあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.10 11:51:37
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