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テーマ:キリシタン(4919)
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【会津の「庚申塔群」】 会津の、庚申の年に「庚申」碑を建てる習慣のあった村の、「庚申」碑が建てられているところにあった当該教育委員会の案内板です。そして、小生が村の方にお伺いした限りでは、本来の庚申の習慣を守っていた形跡はないように思えました。この点は、旧高遠藩領内と同じです。 旧高遠藩領内では、庚申の年に「庚申」碑を建てることが習慣になっていました。そして、庚申講が行われていた村には、一ヶ村しか出会ったことがありません。しかし、その村には、本来の庚申塔は建てられていませんでした。 会津には、高遠から様々なことが入ってきています。そうした高遠時代からの文化を継承している村では、そのことをよくご存知であろうと思います。そして、その中には不思議な習慣もあります。ある写真を見ていて気が付き、それを撮るためだけに、山の中の村へ行ったこともありました。 また、会津のある地域には、信州の言葉が残っています。これも、実際にその地域の方とお話をして判りました。まるで、亡母の実家の伯母と話しをしているように感じました。もしかすると、キリシタンを「太子守宗」と置き換えることを考え出したのは、保科正之公かもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.09 16:44:22
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