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テーマ:キリシタン(4919)
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【中通りの織部灯籠】 中通りのとある村に建てられている延命地蔵堂で撮った写真です。石灯籠の竿の裏面には「昭和五十七年」と彫られています。この石灯籠に出会って以降、かなり遅くまで中通りに隠れていたキリシタンがいたことを示すモノに出会いました。そこは会津藩領内だったところです。そして、そのモノを奉納した方のお名前も知ることが出来ました。 狩野芳崖が描いた慈母観音像を模写した絵です。あの狩野芳崖の慈母観音像は切手にもなってるので、ネット上で見ることが出来ますが、東京芸大のサイトに、下図があるのでそれを見て驚きました。その下図に描かれている子供の胸に十字架があります。慈母観音像の完成作品に描かれている子供の胸には十字架はありません。 東京芸大のサイトで、<狩野芳崖>を検索すると、その下図を見ることが出来ます。関心のある方は是非、東京芸大のサイトで検索してみて下さい。そもそも、狩野派の画家が描いた『南蛮屏風』には、キリシタンでなければ描き得なかったモノが描かれています。 昭和五十七年には、小生は既に会津に住んでいました。あの頃にこの織部灯籠が奉納されていたことを考えると、会津にもあの頃には、もっと確かなキリシタンの痕跡が残っていたかもしれないと、かなり悔やんでいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.10 12:52:19
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