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テーマ:キリシタン(4919)
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【会津の「子安観音」像】 これは会津のとある村に建てられている「子安観音」像です。この写真は この村は保科正之公が会津藩主になられてから成立した村です。史料のデータベースからそれが見えてきます。そして、観音堂を修復した時に、建物の下の地中から、墨で文字が書かれた小石が多数出てきています。それらの一部があるところに展示されていたので、少し丹念に見たことがあるのですが、聖書の内容を示している漢字がいくつもありました。もう40年ほど前のことです。 ですから、この観音堂に祀られている「子安観音」像を見ることが出来たときには、かなり興奮しました。しかも、この「子安観音」像も肌が白く塗られています。そして、この「子安観音」像の手前には燭台があるのですが、7本のロウソクを建てることが出来ます。 寛文六年(1666)、保科正之公は領内の「順礼」を禁止されました。「御領中順礼ニ出候儀、御停止被仰出」と『会津藩家世実紀』に記されています。しかし、理由が記されていないのが非常に気になっていたのですが、こうした観音像に出会い続けてきて、その理由が『会津藩家世実紀』の記録の行間に見えてきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.06.08 07:15:37
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