会津の不思議な「子安観音」石像
【会津の不思議な「子安観音」石像】 これは、会津のとある村の道路脇に祀られている「子安観音」石像ですが、抱かれている幼児の両腕が「メム」というヘブライ文字になっています。ある方が不思議な石像があるとここへ連れてきて下さいました。そして、この幼児の両腕が「メム」の形になっていることを知り、非常に驚いたのですが、同時に「やはりそういうことか」と思わざるを得ませんでした。 保科松平会津藩は、キリシタンを弾圧していません。確かに、宗門人別制度を施行しているのですが、こうした石像が村の中に祀られていることを黙認しています。そして、この村に関する史料の記述から考えると、この村も「転切支丹移住開墾政策」によって成立した村であろうと考えられます。 そして、保科正之公の生母であるお静の方の実家がキリシタンであった(『会津藩家世実紀』)ことを考えると、こうした石像が会津に残っていても不思議ではないと思えるようになりましたし、この村だけに宗門人別制度に組み込まれながらもキリシタンの信仰と習慣を守り続けていた訳でないことも、見えてきましたが、こうしたことは伊那谷を繰り返し訪ねた結果でもあります。 東京は今日も猛暑です。今週の後半は少し涼しくなりそうなので、下総多胡にある樹林寺を訪ねてみたいと思っています。保科正直が多胡藩主だった時代があります。そして、下総多胡の樹林寺は臨済宗のお寺なのですが、「夕顔観音」が祀られていて、伊那高遠へ移封される時に、保科正直はその「夕顔観音」のレプリカを彫らせて、伊那高遠へ持ってきたのですが、その「夕顔観音」が残っている伊那高遠の樹林寺は真言宗のお寺です。そして、その時代にはまだ、宗門人別制度は施行されていません。※「メム」は「ミリアム」の頭文字で、ギリシア語では「ミリアム」は「マリア」です。