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礼拝は神様がご臨在される場でありまので、謹んで臨む心構えでおります。礼拝のすべてのプログラムに対して真剣になります。遅刻、私語はもってのほかです。賛美は可能な限り大きな声でうたいます。説教は、主の言葉を極力残したい一心で速記のように、コンピュータにインプットします。まさに真剣勝負そのものです。主の前に自分の罪を告白し、主の十字架の死により、自分の罪があがなわれていることを確認し、主の復活の恵みにより、自分も主とともに新しい命を生きている喜びを与えられます。説教は、神が語る言葉です。私たちにとっては命であります。その命をいただき、それが自分の中に生き続けるというか、私たちが主を生きるのであります。まさに礼拝は罪の告白、罪の赦し、主にある喜び、主の言葉=命の受領、主の言葉=命を生きるという一連の運動の完成であると思います。
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