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テーマ:癌(3550)
カテゴリ:妻のガン治療
妻が大腸ガンになっちまいました編その1です。
2007年末 職場の検診で要再検査となる。大腸の検査を受ける事に。 2008年2月 大腸のファイバー検査を行う。腫瘍が出来ているので取ったので、検査結果を聞きに来て欲しいとなる。 2008/2/28、妻が大腸癌だと判明。 大腸検診の検査の結果を聞きに行くだけなのだが『家族と一緒に来てください』となっており、薄々予感はあったのだ。。。 『隠していても仕方がないので、はっきり言いますね。残念ながら悪い腫瘍です。ガンです』と医師に単刀直入に伝えられる。 よくTVドラマとかである、あの雰囲気では無く、あっけなく、あっさりとガン告知が終わった。。。 妻の動揺は計り知れないものがあろう。。。 あまりのあっけない癌宣告に、何だか感傷に浸る隙も無く説明は進んでいった。 CTの予約、その後の結果報告とその後の方針立案。。。 検診後、妻実家に立ち寄り報告。 癌だったというと『良性か悪性か?』の義父の問いかけに二人で爆笑。 悪性だから癌なんだってば!(病院から電話した妻の勤務先の所長も同じ事を聞いていた。50代以降は癌に対してそう言う認識なのだろうか???) それまでは泣かずにいた妻も流石に自宅に帰ってからはしばらく泣いていた。 自分の癌を呪う訳では無く、子供たちの将来について考えると胸が熱くなるようだった。 私は心の中で泣いた。涙は出てこない。ショックが大きいと涙が出ないと聞いた事があるが、それらしい。妻が泣いているから余計だ。 二人ともクヨクヨしてもしょうがない、って言う事で現実路線に戻り、がん保険に今後の手続きとかを聞いた。癌だからと言っても時間は今まで通り過ぎていく。 3人の子供は成長していくし、学校もある。娘の卒園・入学、息子の進級と待ってはくれない。 私の収入も交通事故後の就業規制で残業が出来ない、且つ成績は最低なので年収約4割減で非常に苦しい生活が続いているので、真っ先にお金の工面に考えが及んだ。あぁ情けない(^^; 特に借金がある訳では無いので、支出を絞るだけ。まあ何とかなるでしょう?って感じです。働いていれば定期収入がありますから、どうにかなるでしょう。健康保険もあるし、高額医療も戻る。妻も会社は辞めないで休職する事に。 治療後は仕事復帰してまた今まで通りの生活に戻るのが目標。 当面の目処が立ったので、何となくホッとしてダラダラモードへ突入。。。 そして数日経過する。 その間、私自身の交通事故の示談の話合いもあり、遺失利益の金額が少なく弁護士通すかどうか妻と話し合っていた翌日の宣告だったのだ。悪い事は重なるもんだ。 そんなこんなで日が過ぎて、いよいよ明日はCTの結果聞き。 本やネットで情報を集めたので、先生の説明は恐らく理解出来る状態。つまり、妻本人も瞬時に状況を理解出来てしまう。ある意味残酷な時代だ。 早期、と言う良い診断ならほっとするが、ステージ3以降だ、と言われると正直厳しい。5年生存率がガクッっと落ちるからだ。 せめて娘の成人式までは見たいと言ってるので、あと14年。何とかステージ2、且つ転移無しとの診断を希望したい。 若いので、癌細胞の進行も早いのが最大の気がかり。ただ、回復も早いので、悪いところは全部切ってくれれば何とかなると思っている。 私の父親は胃がんで胃を4/5摘出し、元気に回復中したが、手術の2年後に交通事故で他界。 母親は膀胱癌で既に5年経過。1年前には乳がんで片方を切除している。それでも元気だ。だから悪い所を全部切ってしまえば何とかなる、と自分の親の状態を見て漠然と考えていた。 身近にそういう例が無ければ、恐らく正気ではいられまい。 祖父は末期の肺癌で苦しい治療を受けていたのを鮮明に記憶している。当時私は中学生だった。そのよな闘病だけは避けたいと感じている。 あとは医者を信じて治療を進めるしかないので、ある意味腹は決まった。 妻が安心して治療に専念出来るように家族みんなで協力していきたいが、日々の子供たちの行動を考えると・・・前途は多難である(爆) その2に続く。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月13日 23時02分10秒
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