死の恐怖
人間にはいつか必ず「死」が訪れる。多くの人が必然の死を恐れ、少しでもその日と遠ざけようと医者に通う。それでも死に直面してしまった時人は何にすがるのだろうか。その生物全体の根底にある恐怖をポイントに発展してきたのが宗教だ。死んでも精神は残る・・・・カトリック輪廻転生・・・・仏教<聖書より>イエスキリストは死後、復活をとげた。神の国ではあらそいなどなにもない。イブはアダムの肋骨から作られた。他、超常現象的なもの多数。なんて本当に信じている人がいるのだろうか。死後は神の国へ行ける?死んだ人がみんな神の国に行ってたら、国は人口密度過度でパンクだ。神の国ではあらそいなどなにもない?それなら、とりあえず今の現世の争いをジーザス様のお力でなくしてみせてよ。肋骨から女ができた? ・・はぁ・・・まぁ。。信じてみようじゃないか。(あきれた)6年ほど前私は家はほぼ無宗教だったが、カトリックの高校に進み毎日聖書のお祈りを唱えさせられていた。さらに毎月学校の聖堂で、神父様に懺悔をしなくてはいけない懺悔の時間が設けてあり、同級生達は皆、毎回懺悔の内容を作るのに必死になっていた。私も最初は日々の「今日寝坊をした」だの「先週は課題をやりわすれてしまった」だの、そんなことを聞くほど神は暇なのか?と思うような懺悔の内容だったがいい加減それすらめんどくさくなってこんな懺悔をした。『神父様、私は罪深い生徒です。毎日聖書を読んで(読まされて)いますがイエスキリストへの信仰の気持ちを持つことができません。』すると神父がこう言った。『あなたには信じる気持ちが足りないようです。信じる心が力となり、信じたことは現実となるでしょう。あなたが神の存在を信じたその時、神はそこに存在するのです。』・・・・・・・。まぁ、なんてイっちゃった事をおっしゃるのかしら。なんでも信じて、それが現実になるんだったらなんの苦労もいらん。あんな妄想教本(聖書)の内容を信じれるぐらいだったら怖いものなんかない。!!!!!あ・・・・・・これだ・・・・。このことが宗教で大切なことなんだ。聖書の内容を心の底から信じることができたとき、その状態がどんな状態(頭ラリラリ)であれ、初めて人間は死の恐怖を忘れることができる。確かに信ジルモノハ救ワレル