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昨日は、「刻舟」という言葉を見かけました。 意味が分からなかったので調べてみると、 『呂氏春秋』の『察今』の故事から。 ある人が、舟で川を渡っているときに、 川に剣を落としてしまった。 あわてて、すぐさま舟のふちを刻んで 「ここが剣を落とした場所だ」と印をつけた。 やがて舟が止まり、その目印から川に入って探しても、 舟は進み、川は流れているので、 当然、剣を見つけだすことはできなかった。 …というお話。 「刻舟」とは、時の変化に気づかず慣習にとらわれて 見当違いとなることのたとえだそうです。 かつて、うまく行っていた事や方法に固執していると、 気づけば時代に取り残されている。…というよりも、 やってる本人は、刻舟のようなことをしてることに まったく気づいてないことが多いので、 「以前はうまく行ったのに、おかしいな」と思いながら 同じ方法を繰り返すままスランプから抜け出せない、とか かつての栄光の自慢や反芻に終始して更なる練磨を忘れ、 今、通用しない自分になってる事に気づいていない、とか そういう痛いことになってしまうのです。 あー。ものすごく恐ろしい言葉だ(>_<)! そして、ものすごく誰でも陥りやすそうなことで、 ものすごく分かりやすいたとえだ。 舟ではなく肝に銘じておこう。 + 今朝、「あか虫さんの人生って、 何かにたとえるなら、どんな人生?」と聞かれた。 「ジェットコースターというほどではないけど、 渓谷くだりみたいな感じかなあ~」と、 なんとなく答えたものの、 よく考えたら、皆そうだよねえ。 ちょっと先に何があるか分からないし、 波に揺られるし、急流だったり穏やかだったり、 景色が綺麗だったり天候が荒れたり、 常に動いてるけれども、舟上で走っても何も変わらないし。 そして多かれ少なかれ、みんな舟べりにいろんな印をつけて 「あとで探そう」「覚えておいていつか役立てよう」 「あとで戻って来てお礼を言おう」と思っても、 気づけば舟は進んでしまってるんですよね。 そしてそして、きっとこの先、どこか船着場に着いて、 そこに自分の本当の人生があるんだろう、とか思ってる内に、 人生そのものである川くだりが終わってしまう、という。 えーい!(>_<)/ 櫂(かい)を持て! 棹を貸せい! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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