白馬岳雪渓
もう 7、8年前になるのか白馬雪渓を登った事がある。その頃でも 落石の心配はあった。雪の上を滑り落ちる石は 音もなく襲ってくるので良く見て歩けるように 下山ではなく登る方を選ぶ方が安全。それでもゴロゴロと遠くで聞こえる音が落石の音だと聞き 恐々歩いたものだ。それよりも白馬登山と言えば 体の不調を押して登った思い出の方が強い。前の晩からお腹の調子を崩し 雪渓に踏み込もうとする頃上から下からと 腸内の中の物が全て外に出てふらふらになるほど体の力が抜けた。リタイアしたいと思っても 6人だけのグループから一人でも外れる事は他の方に心配をかけるので行くしかないと覚悟を決め 無理やり食べれる物を口に押し込み時折ザックを人に預けながら 6時間以上を歩いた。山小屋が見える頃には 皆さんに先に行ってもらう事で気を楽にして 一歩歩いては2,3分休憩10分で行ける距離を 一時間近くかかったのではないかと思う。それでも翌朝 白馬岳の頂上に立てた時 成し遂げた喜びで味わった苦痛も 全て過ぎ去った過去になっていった。何年か経った今でも 皆さんに迷惑はかけたけどやめることを選択しなかった事を良かったと思える思い出である。岩に 花に 鳥に 空に 雲に 悩みなど小さくくだらないことだと諭され 不安定だった狭い心を押し広げてもらった。生きていることの素晴らしさを実感し 人を認める事の安堵感を覚えた。そして人間の持ち合わせる感情を ふるに表現させられる山の美しさ 厳しさを知った。そんな岳を愛してやまない人々をのみ込みながら崩壊する悲しさは 山を愛する一人として辛く切ない出来事。今年は諦めた白馬岳だが(ルートは雪渓を避けて通る予定であった) また何時か会いに行けるよう 足と心を鍛えよう。残された人生がもう少し華であり この私も 愛しいと思ってもらえる為にも。