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今朝も寒かった~~ でも、わんこは元気でした。 私が朝食に食べたパンの匂いをかぎつけて 舌なめずりをしていました。
今日は読書会に行きました テキストは、石川啄木の 「一握の砂」 今は盛岡市になっていますが 渋民村出身の文学者です。 高校の時、啄木が好きだった先生のおかげで 彼の短歌は、良く知っています。 中でも好きだったのは 不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心
盛岡に来て、最初に行ったのは盛岡城跡。 そこで、この歌碑に会い感動したことを思い出します。
啄木が大好きな友人が今日の進行役でした。 ずっと前、彼女から 「啄木は借金ばかりして、皆に変な人と思われているけどね 彼は自分が成功したら、きっと返そうと思っていたのよ」 という話を聞いたことがあります。 彼女は啄木の研究会にも入って、啄木とともに生きています。 92歳の実母の介護もしながら‥
彼女の話によると 啄木は、人の良い金田一京助らに借金の申し込みをして そのお金で、花と花瓶を買うような人だったそうです。 「そんな人だから、好き嫌いがわかれるのよね」 と彼女は言っていました。 経済観念は、夫婦共になかったのではないかとも‥
啄木と妻節子は、10代で出会い20歳で結婚します。 節子が結婚前に代用教員をしていた小学校が 盛岡の隣村にあります。 盛岡からその小学校までの道が、我が家のすぐ傍にありますから 節子さんは、この道を毎日通っていたんだな~と思います。
友人は私に「一握の砂」の初版本の復刻版を 見せてくれました。 1ページに短歌が2首ずつ印刷されていました。 その組み合わせは、啄木がすべて行ったそうです。
私が買ったのは、新潮文庫版です。 これは 彼の最もよき理解者であり、 同郷の友人でもある金田一京助が編集したそうです。 解説を読むと、彼が啄木の才能を高く評価していたことが 感じられ、胸を打たれました。
啄木が息を引き取るとき、若山牧水と彼が呼ばれて 啄木から、歌集の出版の事や残された家族のことをよろしく頼む と言われました。 その後、彼は大学の講義に出かけます。 出かけた後、啄木が息を引き取ったので 臨終まで傍にいなかったことを、 彼はひどく後悔したそうです。
27歳で亡くなった啄木が残した作品は、今でも輝きを失っていません。 彼がもし亡くなっていなかったら きっと素晴らしい評論家になっていたのではないかと友人は言っていました。
参加した面々は、皆主婦ですから 節子さんの苦労に思いを馳せ 「ああ~啄木みたいな夫はいやだ~」 という結論に達したようです。
私は、こういう人はけっこう好きかもしれません
夕方は、娘の三者面談に行きました。 すでに受験する高校も決まっていたので 5分くらいで終わりました。 油断しないで、これから二ヶ月ちょっと 頑張って欲しいものです。
※啄木が亡くなったのは大正2年 27歳でした。(まちがえて26歳と書いてしまっていました~) ごめんなさい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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