カテゴリ:神社仏閣
歴史ロマンあふれる紫波の町には、神社がたくさんあります その中で、地元の人に 「赤石さん」と呼ばれている神社があります。 拝殿です。 でもね、この神社の本当の名前は という由緒ある名前なんですよね。 では、なぜ赤石神社と呼ばれているのかと申しますと ほら、この石をご覧下さい。 もっとそばに寄ってみてみましょう。 まさに赤い石です。 この石は、かつて斯波孫三郎詮直といいう人が北上川から 引き上げた石なのだそうです。 もとは紫色の石で、この石のために川の波が紫になり 地名が紫波となったのだそうです。 神社のすぐ裏手には、北上川の雄大な景色が広がります。 これは、拝殿の奥の本殿です。 実はこの日は例大祭の日で、神さまは町内を練り歩き お留守のようでした。 ここを訪れたのが、ちょうど4時頃で 太陽が西に傾き始めた頃でした。 拝殿でお参りして、後ろを振り向くと…
正面の杉の木の上に、太陽がありました。 まさに太陽の沈む方向に向いているのですね。
さて、この赤石神社の参道には南面の桜があります。 かなりの古木ですが、この木には昔から物語が伝えられています。 南北朝時代、都から藤原頼之がこの地に赴き 当地の領主川村少将の娘、桃香と相思相愛の仲になります。 2人でここに桜を植え、満開の桜を夢みていましたが 頼之は、再び都へ呼び戻されます。 「この桜が咲く頃には、きっと迎えに来るから」 という愛しいお方の言葉を信じて、桃香は待ち続けます。 月日は流れ、かの桜は見事な花を咲かせるようになりますが 不思議なことに、花はすべて都の方角の南を向いていたのです。 これは、桃香の詠んだ歌やそうです。 南面(みなおも)の桜の花は咲きにけり 都の麻呂(ひと)にかくとつげばや さて、桃香はんの恋やいかに~ 一説には、この歌が都に届けられ 愛しい人が迎えに来たという話も伝えられていますが そうであれば、良いのですが…ねえ
さて、神社を出た帰り道に 幸運にも御輿行列とすれ違いました。 さて、ご神体を乗せた御神輿は? 国道の向こうに見えました。
このあと、熊が時々出るという 水分神社まで行きました。 つづく
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