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東北を舞台にした独立モノと言えば、何といっても井上ひさしの傑作『吉里吉里人』が筆頭に挙げられる。
この作品において吉里吉里人に独立を決意させる大きな要因は「お上からの理不尽な押しつけ」だが、この『阿武隈共和国独立宣言』も然り。作者の言いたいことはこの言葉に集約されると思う。 「故郷の山河を捨てろと国が強要するなら、故郷と国を天秤にかけて、俺たちは国を棄ててもいいとさえ思っております。棄てなければならないような土地にしてしまったのは誰なのだと叫び続けながら、何としても外地で、私は生きられる限り生き抜きたいと、決意しております。」(p.77) この物語はタイトルが示すように、宣言をするまでの物語で、宣言するなり滅ぼされてしまうのだが、作者が書きたかったのは決して滅びの美学ではあるまい。 あの大震災以降の政府のバタバタぶりもそうだが、それそもそも原発を作ったのはそれ以前の政権だ。その、復帰した政権が何の反省もなく原発推進にまたぞろ舵を切ろうとしている。こんな恐ろしいことはない。 そんなことを思っていたら『吉里吉里人』を読み直したくなってきた。しかし、文庫本持ってないんだよな、単行本は通勤に持ち運んで読める厚さじゃないし…。 国家と個人との関係を問い直す、というのは3・11以降の僕たちが自覚的にすべきことではないかと思う。国の都合で人殺しに駆り出されるのだけは御免だ。憎くもない相手を憎むように教えられたり、神でもない人間を神と崇めるように強制されるのも。 なので、もうちょっとそういったテーマの小説を読み進める心算。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.02.01 21:37:04
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