橋
橋って本来は大切なライフラインだった。
熊本で言えば通潤橋
江戸時代に通され、高地にあり川との高低差がある一体に水を通すとともに、人の行き来にも重要な役割が今でもあるLifeLineの代表格と言って良い橋だと思う。
対して九州で言えば、今や観光名所にもなっている久住の日本一長い吊橋
車が通れない上に集落間の行き来もない。
死んだ橋だ。
まぁ、あそこの場合は興業的には成功してて、橋を通したお金以上に儲けが出てるのでそれも有りかもしれないけど、そんな死んだ橋が全国にはいくつもある。
瀬戸大橋の一部もそうだとおもう。
瀬戸内にあんなにいくつもの橋を何十億もかけて通して何になるというのか。
結局は道路特定財源の話でも問題になってたけど、地方や中央の有力者達の権威の象徴でしかないのだ。
橋に権威があるのは、元来、LifeLineとしての重要な役割があり、地域住民から請われて通したものだったから。
どんな優美な作りであろうと機能美を備えてない物が存在することにどれほどの価値があるというのか。と思ってしまう。
まあ、そんなこんなで、今でも水路として使われている通潤橋は凄いぞ!ってなもんです(^^ゞ