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テーマ:携帯電話のこと(2526)
カテゴリ:PC・ネット・携帯
前々から書こうと思っていたのだが確証がなくてためらっていた話題である。
実家(仙台市郊外)だとSBMが繋がらない、繋がりにくい、音が小さい(輻輳)という症状が出まくりで使い物にならないのである。 最近、法事やらなんやらで親戚やら友人やら知り合いが多数やって来て判明した事実である。 実家の目の前にはSBMの電波中継塔(J-PHONE)があるのにもかかわらずだ。 直線距離にして約300mくらいか。障害物はない。朝など、天辺に止まっているカラスの声がよく聞こえてくる。 ちなみにちょうど川の反対側には別の会社の(形からするとD社か)中継塔が立っている。こんなことを書くと場所を特定したようなものだが(笑) 繋がらないという症状が出るのは決って夕方の五時とか夜の七時過ぎとかの煩雑時間のようだ。 繋がりにくい、輻輳が出るのはVodafone時代の、いわゆる2G世代機以上である。それ以外(それ以下)でも出るのかは今のところわからない。ちなみに自分が東京から持ってきた800MHz時代のK02とK04の時の記憶しかないのだが決して繋がりにくいということはなかった。 一応ね、親戚、友人の間では「携帯の事情に詳しい」ということになっているので、説明を求められたのだが、「今自分はSBMのユーザーではないので詳しくはわからない」と前置きして説明だけはしておいた。「あの電波塔は新しい規格にはまだ対応してないんじゃないか」と。 こんなこと、本当ならSBMに電話すればすぐにわかることなのだが。というかちゃんと答えているのかね。 念のために、本当に携帯電話の事情に詳しい、ほんまもんのプロの知り合いがいるので彼のところにその電波塔の写真を撮って送ったのだが。 帰って来た答えは「この写真、いつ撮ったの?」だった。(笑) Jフォンの電波塔の写真を撮り溜めておく趣味はもっていないし。 自分中心に振り返ってみると、Jを使っていたのは99年から03年までの3年間と数ヶ月である。 その間、一番困ったのは、頻度からすると一番多くこちらから電話しなければならない、新宿、渋谷、池袋といった駅のホームからだと繋がらないという症状が出たことだった。(しかしそれはなにもJに限った話ではない) Jゆえの悩みといえば、町屋(千代田線・京成線)、西日暮里(JR・千代田線)、このあたりだと輻輳が多かったことか。まるっきり会話にならないのである。 それでも、当時のJにはそれ以外の利点も多く、天秤にかけるとまだ利点も多数あったと思う。 それがドラスティックに(悪い方に)変化したのはボーダホンになってからだった。 下北沢・新宿南口・足立区西新井と自分の勤務の拠点が次々に「難視聴地域」になっていったことだ。「難視聴」という表現は、ウェブに繋がらないとかメールの遅延が相次ぎ出したからだが。 それで端末の紛失を機に思い切って解約してauにした。そして仙台に来たときに当時の状況、家族割引のことも入れてドコモにしたのであるが。 ボーダホンがソフトバンクになってどれだけの人が増えようが減ろうが実はあんまり自分には実害はない。株価が下がろうがはっきりいってどうでもいいことだ。一種のゲーム感覚で増減数や株価チャートを見てニヤニヤしているだけで済む。 がしかしこうして「SBMになってから状況は逆に悪くなった」という実感を持っている昔からユーザーの方が多いとしたのなら、いわば「小さな社会正義」のためにもSBMの解約と他会社への乗り換えを勧める側に廻らなければいけないとさえ思っている。 なんにしても、SBMがまっさきに取り組まなければならないのは奇をてらった低価格で新規ユーザーを取り込むことよりも、昔からのユーザーを大切にして使用満足度を高めること、具体的に言えばボーダホン時代置き去りにされていた 設備の拡充を図ることなのではないだろうか。 でないと、今やっていることををたとえると、浸水して沈みかけているボートに乗っていて、桶で必死に水を掻い出しておきながら「大丈夫、まだ乗れますよ」と大声でアナウンスしているようにしか見えないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年11月19日 10時03分56秒
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