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最終話 もう最終回なのでネタバレもなにもないだろうから普通に書きます。 前話(第七話)から続く平坂(萩原聖人)と北島(栗山千明)の暗闇の中での駆け引きは平坂の勝ちかと思われたが、すんでのところで間に合った星崎(オダギリジョー)によって平坂は倒される。次々に明らかになる真相と三人の行方不明の女子高生も無事救出されて事件そのものは解決する。 さて、ここからドラマは「南熱海」という場所の謎の解明部分に入るのだけれども、やはりちよっとこれはいただけないなと感じたところがあった。 北島が「事件が解決したらあなたが消えてしまうような気がする」といって星崎に抱きつくところと、東雲麻衣こそが事件の共犯であるということに気づいた星崎が東雲のあとを追って駆け出し、ひとり学園の前に取り残された北島が「私を置いていかないで」と呟くところである。 ふたつはいらないだろう。ひとつで充分だと思うからだ。 もしこれがドラマでなくて映画だったらこのふたつのシーンのどちらか(あるいは両方とも)カットされていたはすだ。 まあしかたないかもな。ドラマは誰を相手に作られるべきか、その命題のちょうど狭間みたいなところにある問題だからだ。 もちろんこのふたつのシーンがあったからこのドラマが「駄作」になったとかそういうことでもないし。 それとどうなのだろうか。 「事件」が未解決のころにはあまり目立たなかった南熱海の住人たちの「普通じゃない」言動が事件解決とともに少し露骨に描かれすぎではないのか。桂東(ふせえり)の超能力マジックぐらいはまあお約束のコネタとして見ているこちらも処理できるのだが、犬塚が手にしたポットから湯気が出続けるとかいらない描写が多すぎるような気がしないでもない。もしこれがこちらをミスリードするために撒かれた「煙幕」だというのなら見事としかいいようがないが、どうもちよっと違うような気がしてならない。 最後はそれこそ某掲示板が爆発寸前まで書き込みが殺到したといわれる問題のシーン。 南熱海の幹線路を走るスクールバス。「乗客」は東雲麻衣ただひとり。そしてバスを運転するのは死んだはずの新宮寺。 ここでこのバスが意味するものが明らかにされる。要するに「南熱海」というふたつのものが交じり合わない世界から次の世界への移動の手段がこのバスなのだということ。 2というのも「死のルート」、つまり√4(ルート4)で「2」の意味を引っ掛けているのだろう。 一足先にバスを待ち伏せして道路にたたずむ星崎。ジスは何事もないかのように停車して乗り込む星崎。 東雲の「星崎さんは今どこにいるかわかってますか?」という質問に「まあおそらくは」と答える星崎。 星崎が東雲に何かを耳打ちすると東雲の手にしているイエスノーランプのイエスを意味する青のランプが灯る。 そして東雲が「今ラインを越えました」と囁くと星崎のなんともやるせなさそうな表情がアップになってそれでこのドラマは終わる。 いやこのドラマの全てがこの最後の星崎(オダギリジョー)の表情に凝縮されているといってもいいかもしれない。 「知ってしまった以上はもうジタバタしてもなにも始まらない」という諦めと、この先で待っている素子との再会に期待を寄せての笑顔が交じり合わないで共存しているように見えるからだ。 まあこの終わり方で自分はすべて充分という気がしている。 聞けばテレビスペシャルのようなものが準備されているとのこと。それが続編なのかあるいはふたりが南熱海にたどり着くことになった原因である「東京の事件」になるのかはわからないが。 なんにしてもこのラストシーンをぶち壊しにするようなものだけはつくらないでほしいところだ。 よく出来たドラマの続編やらSPを作るとつまらないものしか見た記憶がないからだが。 そういえばTBSでは今度「SPEC」という新ドラマが始まるのだがこれがどうも「ケイゾク」の続編を謳っていたりする。これはあまりいいことではないと思うのは自分だけだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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